出し惜しみについて考える。
“おせっかい減量キャンペーン”をはじめて、どれくらい経つんだっけ。
2015年7月には書いているから(参照)、少なくとももう4年はやってるわけね。
キャンペーンは続行中なんだけど、どうもうまく利用できてない。
注文した後で「あ、クーポンコードあったのに!」みたいなのと同じ。
おせっかいをやっちゃって、後で「あ、キャンペーン中だったのに!」ってなる。
上達しない。
それで、どうやらそのあたりを上手にやっていそうな友人に「ねぇ、何をどうすると上手になるの?」と聞いてみた。
彼女はいわゆる“おんぶおばけ”やEnergy Vampires(参照)に出会ったことさえなさそうなのだ。
そしたら、「へぇ、emiっていい人なのね」と驚かれた。
「あぁ、そういえば確かにアドバイスとか、くれるよね」。
私の人生の約3分の2を知る友人なのに、いまさらそんな。
相談業者でもある友人によると、普通の大人の付き合いにおいて、人はあんまり親身になって相談に乗ったりしないんだそうだ。
「業務上は相談に乗るけど、それにしてもある一定の線まで。そこから先は本人次第でしょう?」
うん、わかる。
「『本当はこうするのがこの人のためになるけど、今はそれを言うときじゃないな』っていうの、あるでしょう?」
うん、ある。
「じゃあそこは出し惜しまないと。仕事でできてるんだから、できるでしょ」
うーむ。
「あとはそれ以上に来られないように、忙しがっとけば大丈夫よ。」
うううーむ。
でも、うーむ、そうなのか。
この即座に納得いかないモヤモヤした感じは、私の脳の、変化に対する抵抗なのかしら。
だとしたら、脳に負けずにやってみるか。
大人になるって、そういうことなのかも。
というわけで、いったんは出し惜しむことを決意。
ところが、その決意はすぐに揺らいだ。
現在進行中のあるプロジェクトについて、ちょっとした質問を投げかけてみたところ、いつもお世話になっている人たちから何年も連絡のなかった人まで、みんなが寄ってたかって親切に回答をくれた。
それも、「あえて厳しいことを言うけど」「重箱の隅をつつくようで申し訳ないけど」などの前置き付きでスパッと核心を突いてくれたり、明らかにたっぷり時間をかけて細かいところまで見てくれたりしている。
私のことなのに、自分ごととして考えてくれている。
この人たち、絶対に出し惜しんでない。
出し惜しまれないことは、こんなにありがたい。
それを知りながら、自分は出し惜しむなんて、ありえない。
考えてみたら、私が出せるものなんて、惜しむほどのもんでもないしね。
惜しむなんて100万年早い。
やっぱり私は今後も出せるものは惜しまず出していこう。
というわけで、出し惜しむ案はあっさり却下。
ふー、すっきり。
とはいえ、“おせっかい減量”は私にとって心に留めておいた方がよい課題ではあるんだよな。
キャンペーンの適用条件とか、対象者を見直す必要があるのかな。
うーむ。