喪主をやってみた。
「喪主をやる」というのは、日本の人たちにとってとにかく最上級に大変なことであるらしい。
ま、そりゃそこそこ大変には違いないけど、私はあんまりそう思っていない。
だってさぁ、大勢の人が一致団結してくれて、時間や労力や言葉を惜しみなく提供してくれて、全面的にサポートしてもらえる。
私が何か忘れていたら、すぐ誰かが知らせてくれる。
たった一人で戦う場面に比べたら、全然大変じゃないよ。
幸いなことに、私の脳内ではいろんな物質が過剰分泌されているから、長時間起きていられて、身体がいくらでも動いてとっても便利。
おかげで、国際引越や博論の執筆やディフェンス(参照)の疲労やプレッシャーを無視して、何事もなくこなすことができた。
責任者の特権をフル活用して、関わってくれたすべての人に感謝を表すための場を、自分の好きなように整えることができた。
たくさんのことを学び、短期間のうちに新しい経験をどんどん積んだ。
“ご挨拶”はその場の雰囲気でしゃべっただけのような感じだったけど、「拍手しそうになった」とか、後日「あの挨拶で、考えさせられた」とか言ってもらえた。
そこに至るまでの数ヶ月の間、最高レベルに感度が上がっていた私のセンサー(参照)は、「喪主」後の数日間も高いままだった。
その後は、落ち着いたかと思いきや、日頃なら見過ごせるはずのことに対して急に針が振り切れてしまう場面がいくつかあった。
でも、そうなるたびに、家族や友人が助けてくれた。
「ああいうところ、見習おう」と思ったり、「あそこは気をつけよう」と思ったり。
やっぱり、「センサーが敏感すぎて、いっそオフにしたいと思う日もあるけど、やっぱりオフでは困るのだ」よねぇ。
ま、そんなとこかな。
このブログには、忘れないことと忘れたいことは書かないから。