ひどいひどいとは聞いてたけど、今の私の記憶力は本当にひどい。
ここ数ヶ月ずっと、超緊急で超重要な、感情的にも難しいいろんなことが立て続けに起き、締切に追われ、責任のあることを任され、プレッシャーに挫けそうになりつつ、目の前のことだけをどうにかこうにかこなす日々。
おかげで、先々の心配をしたり、ひとつひとつの出来を気にしたり、細かいことに迷ったりしなくなった。
来た順に、ぱぱっとやって、サクッと片づけて、振り返らずに次へ。
そうか、完璧主義ってのは、ある程度余裕がある場面じゃないと維持できないもんなんだな。
出来にしたって、わたし的には人生で最大の雑っぷりだと思ってるけど、周囲からの評価は下がっていないどころか、むしろなんだか評判が良いような気がする。
とはいえ、心身ともに限界ギリギリ。
月末まで走り切ったら、その後は絶対に休もう。
どうにかこなしているとはいえ、そんな状態なので、もちろんうっかりミスや勘違い、忘れ物が増えている。
小さな忘れ物についてはもう日常茶飯事すぎて、ここに書くことも忘れていたし、書こうと思ったとしても何を忘れたかを思い出せなかっただろう。
でも、昨日の忘れ物はなかなかのものだったので、記録しておこうと思う。
乗り継ぎ空港にて。
これまでの経験から、ここでの待ち時間はたっぷり4時間あるものを選んでおいたのだが、最初の便が予定より1時間ほど早く到着したうえ、入管も空いていてほぼ待ち時間なしで通過できてしまった。
預け入れ荷物はさっさと出てくるし、税関は「そのままどうぞ~」で通してくれる。
係員はみんな機嫌がいいし、どこも簡単でスムーズで、拍子抜けするよ。
唯一列ができていたのは、保安検査場。
ここは荷物の出し入れや、靴などの脱ぎ履きがあるからしょうがない。
過去の様子とは比べ物にならない穏やかさだけど、それでも今日の他のチェックポイントと比べると、やっぱりここにはやや殺伐とした雰囲気がある。
4回ぐらい往復する列に並んでいると、私の後ろから日本語の会話が聞こえてきた。
「水はどう?ダメかな?」「機内でもらったんだから、いいんじゃない?」
「お茶は?」「飲みかけだからダメかもね」
「パンはどうだろう?」「聞いてみよっか」
初々しいやら、心配になるやら。
振り返ると、かわいらしい感じのカップルだったので、「液体類はダメですけど、パンは大丈夫ですよ」と声をかけた。
「え、そうなんですか!ありがとうございます!」
そこから、「おねえさんはよくアメリカへ来るんですか?」みたいな感じでおしゃべりが始まった。
私が先頭の3人組みたいになって、保安検査を通過。
検査のために出したものを片づけ、靴を履きながら、カップルの質問に答える。
旅行会社から送られてきた資料を手に、「次の便の乗り場はモニターで確認しろって書いてあるんですけど…」と言うので、「じゃあモニターまでご一緒しましょう」「わぁ、ありがとうございます」となった。
ところが、保安検査場にあるモニターは左4つが故障中。
アルファベット順に並んでいるゲート案内が「O」以降しか表示されていない。
彼らの行き先は「L」なので、次のモニターまで連れて行き、見方を教え、外貨両替の場所を教えて、「ではまたどこかで」と言って別れた。
コンコースに出て、いつものカウチに座り、タブレットを出して、とりあえず各所に「着いたよ」の連絡。
友人たちと軽くしゃべって、急ぎのメールに返信し、外の景色を眺めても、まだ待ち時間は3時間ほどある。
「ちょっと早いけど、夕食にしよっかな」と荷物をまとめていた、そのとき。
は。
ノートパソコンがない!
バッグから出して保安検査を通したのは覚えている。
コンベアを流れてきて、引き取って、カバーに入れたのも覚えている。
そこから先の記憶がない。
あぁ、「じゃあモニターまでご一緒しましょう」のところだ。
人助けしてる場合じゃないよ。
いったんコンコースへ出てしまったら保安検査場には戻れない。
エスカレーターは上りしかないし、出口には「戻れません」と書いてある。
ひとまず案内所へ行ってみた。
が、無人で、電話番号の書かれたカードが置いてあるだけ。
電話をすると、週末の今日は営業時間外で、「発信音のあとに、電話番号を録音してください。折り返し連絡します」という、数時間以内に忘れ物を見つけるなんて確実に絶望的なシステム。
ダメモトで、「DO NOT ENTER」と書かれた保安検査場の出口横にある外貨両替の窓口へ。
「すみません、この向こうに忘れ物をしちゃったんですけど、取りに行く方法をご存じないですか?」
「国際線で来た?」
「はい」
「じゃ、そこから入って、奥のエレベータで階下へ降りなさい」
え、いいんですか?
出口を入り、人々の流れに逆らって奥のエレベータに着くと、女性の係員に声をかけられた。
「下へ行くの?」
「はい、忘れ物をしちゃって」
「私もいま下へ行くから、一緒に行きましょう。何を忘れたの?」
「ノートパソコンです」
「あらまぁ、それは何としても取り戻さなくちゃね」
検査場に着くと、別の係員に取り次いでくれた。
「きっとこのあとは到着便の番号や、だいたいの到着時刻を聞かれて、倉庫かなんかからその時間帯の忘れ物に絞って、パソコンのメーカーや色を聞かれて…ってなるんだろうなぁ」と思っていたら、すぐに男性係員が「これかい?」と、トレイを持ってやってきた。
トレイには誰かの黒いジャケットや白いアダプターとともに、私のパソコンが入っている。
そそそそうです。よかったー。
「持ち主の確認をしなくちゃいけないので、パソコンを立ち上げて」。
はいはい、おやすい御用でございます。
電源をオン。
いつもの画面がついた。
ところが、そこから全然進まない。
待つ間の丸いやつが、延々とくるくるしてる。
ちょっとちょっと、どうしちゃったの。
オフィサーと二人、気まずい時間が流れる。
しびれを切らしたのか、「そのジャケットのポケットにでも、名前のわかるものが入ってたらそれでいいよ」と言われた。
あ、いえ、このジャケットは私のじゃありません。
「ふむ、じゃあ待つしかないね」
てか、あの雑然とした検査場をあれだけの人が通るのに、忘れ物って全部でトレイ1個にまとまる量なの?
ちょうどフライトの合間なのか、検査場はガラガラ。
暇そうな係員が「どうしたどうした」とふざけて集まってくる。
「この彼女が、パソコンを置いてっちゃって」「へぇ、でも見つかってよかったね」
「別の用事をしてくるから、ちょっとここ、見ててくれる?」「了解。(私に)ハロー!」
…というようなやり取りに巻き込まれる。
んもー、恥ずかしい。
ようやくパソコンが立ち上がり、パスポートの名前が確認できるファイルを見せて、「行ってよし」となった。
ふー。
乗り継ぎ時間がたっぷりあって、忘れ物に気づいたのが待ち時間の前半で、本当によかった。
通してくれた外貨両替のおねえさんに「おかげで助かったよ!」とお礼を言い、何事もなかったかのように夕食を楽しみ、例のカップルとばったり再会したりもして、ゆったりゲートに向かい、出発。
ちなみにその夜、部屋で電源を入れると、パソコンはいつもどおり、スッと立ち上がった。
なんなの、キミ。
さっきは緊張してたの?
ま、でも帰ってきてくれたから、許す。