『紛争地の看護師』

『紛争地の看護師』を読んだ。

ネット上には著者のインタビューも立派な書評もたくさんある。
内容はタイトルからも想像できるだろう。
なので、あらすじは書かない。
以下、ぜんぜん立派じゃない私がぼんやり考えたこと。

著者の心を最初につかんだ団体名「国境なき医師団」。
“本名”はフランス語で「Médecins Sans Frontières」、英語名は「Doctors Without Borders」。
私は英語と日本語しかわからないけど、訳のクオリティの高さに感心する。
余計な加減をせず、直訳で元の名前のインパクトを適切に保ちながら名称としてすっきり成り立たせ、かつ語感としても意味としても母語話者に違和感なく受け入れられるように訳してある。
芸術的。

あえて難癖をつけるなら、原語のfrontières/borders に対して、日本語では「国」の概念を加えて解釈を狭めたってところだろうけど、私はそれも計算ずくってことでいいんじゃない?と思う。
物理的に身近でない「国境」という語に憧れやロマンをもち、遠くに思いを馳せるというような、まぁ見方によってはくだらないことに、いわゆる訴求力がある。
良くも悪くも「境界」や「差」や「相違」に対する意識が低く、「限界」を自ら安全圏内に定めがちで、「越境」や「突破」を経験しにくい文化では、frontières/borders のもつ抽象性を生かして各自の解釈に任せるより、「国境」で具体的に示してやる方が得策だろう。
これがもし「国境」でなかったら、幼い頃の著者のように、日本語しか知らない、日本から出たことも出る予定もない子どもに、これほどガツンと伝わることはなかったのではないかと思う。

この団体名が他の言語にも訳されているのか、訳されているとすればどんな感じなのか、ちょっと検索してみたけどわからなかった。
もし訳して使われているのが日本語だけだとしたら、それはなかなかすごいことだよね。

「国境」は著者や MSFの日常に、確実にある。
frontières/borders も、山ほどある。
あるから越え、越えることでなくしてみせようとする。
試行錯誤する間に、破壊されたりルールを変えられたり。
本書には著者の覚悟、工夫、挫折、絶望と希望、愛がたっぷり詰まっている。

自分の目で見ることのできない世界について、平和な自宅でのんびり読む。
読みながらどんなにその世界に入ったつもりになっても、本を閉じれば元どおり。
さらにキンドルなら、物理的に残るものは何もない。
そのことを、読後にもっと申し訳なく感じるかと思っていたけれど、そうでもなかった。

圧倒的な“善”が苦手という人もいるだろう。
現実に直面したり死について考えたりすることが怖い人は、この手の本を敬遠するだろう。
知りたがらないだろう。
でも、できたら少し勇気を出して、その frontières/borders を越えてほしい。
この本なら、怖がりさんでも読めると思うよ。
私は痛がりさんなので、ところどころ早送りしたけどね。笑

私は教育信者じゃないので、知らないより知っている方が絶対にいいかどうかは、よく知らない。
戦争体験者が貴重な存在となり、爪痕が薄れ、国民全体が戦争に疎くなるということが、必ずしも戦争へ近づくことを意味するのかどうか、わからない。
ちょうど友人と戦争の話をする機会があった。
彼女の息子は空軍のパイロットで、先月からアフガニスタンに行っている。
「アメリカは国の外で戦争をするから、痛みがわかっていない」というのは部分的には真実だけれど、物事はそう単純ではない。
戦争に行っている人や戦争から帰ってきた人より、本を読んだ私の方が戦争についてよくわかっているはずがない。

それでも、「戦争を止めたい」と強く願う著者の語りに耳を傾ける価値は大いにあったと思う。
虚しさを感じるというのは健全なことのような気がする。

白川優子. (2018). 紛争地の看護師(Kindle版). 小学館.

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