USオープンの取材から、日本語/日本人と英語/アメリカ人の会話について考える。
大坂なおみ選手といえば、今年3月のBNP Paribas Open 優勝スピーチ(参照)。
私は自分にないものを持っている人に強く惹かれるタイプなので、彼女の言葉づかいに、もう、それはもうめちゃめちゃ惹かれた。
ネット上には、「コイツ、おもろい」ってなことで、記者会見やインタビューの動画がたくさんあるし、まとめ記事には「日本語でもイジられてる」みたいなオマケまで載っている(参照)。
バイリンガルとか「まだ20歳、もう20歳」とか、いろいろ言う人がいるのは知ってるけど、そっちには行かないで。
今回のUSオープンでは、さらにインタビュー動画が増えている(参照1 参照2)。
日本の聞き手もアメリカの聞き手も、彼女の「おもろさ」を踏まえているという意味では共通しているけれど、なんというか、踏まえ方が違うなぁと思う。
彼女は言語的には英語の方がずっと使い慣れているけれど、そのわりにインタビューの受け答えという点では日本語、英語間の差がないと思う。
これは、サンプルとしてなかなか珍しい。
その差が小さいからこそ、インタビュアーの違いが際立って見えてくる。
まぁ言ってしまえば取材しやすい相手じゃないからこそ、インタビュアーの想定外に対応するスキル、素養、相手への敬意、多様に対する耐性のようなものが浮き彫りになるんだと思う。
通常、テニスの取材って紳士淑女の意識が高く、比較的かっちりしてるよね。
日本語の場合でも、聞き手の英語使用や異文化の経験が質問の仕方に影響していて、いわゆるオヤジジャーナル的な空気になりにくい。
でも、彼女はキャラ的に“かっちり感”を崩してくるし、日本語インタビューではその言語的特徴がさらに事情を複雑にするから、コミュニケーション上これまでにない切り口をたくさん生んでいるのだと思う。
まさに型破り。
もちろん、日米のメディアやジャーナリズム方面における違い、取材者や視聴者の違いはある。
スポーツやアスリートに対する価値観の違いもある。
同じ国・言語内でも、聞き手の力量に差がある。
でもそれらをズザザッとよけたら、日本人が英語を使うときに知っておくとよい何かが見つかりそうな気がする。
それが何なのかは、もう少しゆっくり考えてみないとわからない。
パッと思いつくのは、抽象度かな。
日本人の質問は抽象度が高い傾向がある。
それから、同族意識かな。
日本人は、もともと遠くに感じていた相手が“身内”だとわかると、一挙に近づきすぎてしまうことがある。
あとは、会話の成熟度。
日本人の会話は、場や設定などの外箱に規定されて、「厳粛か、無礼講か」の二択になりがち。
そして日本人が英語や外国、異文化に関わるとなると、「楽しくてカジュアルなもの」であることが多く、旅行や買い物、仲良くおしゃべりなどの域から脱しにくい。
で、これらに共通して関わっているのは柔軟性のなさかな。
抽象・具体にせよ、他者との距離感にせよ、内容の重さ/軽さ、硬さ/やわらかさにせよ、行ったり来たり、外したり戻したり、自在に動かすところに知識、教養、コミュニケーション力が絡んでくるのだと思う。
英語さえできればすべて解決できるわけじゃないし、日本語の範囲内でも訓練することは可能だけど、英語を使って異なる作法をもつ相手と会話することで、そういう柔軟性が身につくってなことはあるような気がする。
柔軟にやろうと思えば、「いつもやってるのとは違うやり方」が見えてくるから、自分に足りないところが見つけやすくなる。
そのへんが学習につながってきそう。
大坂選手のインタビューを軸に、日米のインタビュアーを変数として、定点観測でコミュニケーションの特徴を拾う、みたいなことよね。
今後は彼女自身の受け答えも変化していくだろうから、それを追うのもおもしろい。
日本人による日本人のための日本語のインタビューに、彼女がいつまで付き合ってくれるか、だけど。