自由度

インタビュー/ポッドキャストの自由度のこと。

インタビュー(参照)が20回に達した。
よくこんなに続いたねぇ。
よくゲストが尽きないねぇ。
よく皆さん付き合ってくれてるよねぇ。

なんとなく、急に始まって、1年3ヶ月。(参照
ゲスト本人やご家族に喜んでもらったり、読者/リスナーから感想などをいただいたりするのはうれしい。
学習者のやる気や意識、考え方に作用するのはもっとうれしい。
最初の頃に考えていたことを読み返してみると、基本的なところは変わらない一方で、やっているうちにわかってきたこと、変わってきたことがあるなと気づく。

変わったことの1つは、編集方針。
最初のうちは、会話分析の流れを汲んで、インタビュアーである私の発言も含めてできるだけ編集を加えず、“録ったままっぷり”を残すようにしていた。
インタビューというより対話、あるいは英語を話す日本人による第一言語の会話の記述に重きを置いていた。
今でもそこに大いに価値があると思うけれど、言葉好きでもない読者/リスナーにとっては負担が大きいかもしれない。
ま、読者/リスナーのウケを狙うつもりも、これまたあいかわらずないんだけど、「長い」でバッサリやられちゃあ、せっかくご協力いただいたゲストにも申し訳ないしね。

そんなことをぼんやり気にしていた頃に、『インタビューとは何か。』を読んだ。
自分を開く、見せる、それをフックとして使う。
で、あとでガバっと全部削っちゃう。
なんとわがままで勝手なこと。
出たがらながりの私には最高の手法じゃないの。
それ以降、「ゲストの独白に近づける」ということを念頭に編集するようになった。
初期の記事とテキストも一部再編集してみた。
“録ったままっぷり”は、別のところで生かせばいいしね。

実際にやってみると、「あとで削れる」という自覚によって、収録中の自由度がうんと増した。
編集中の判断も速くなった。
「質問」を削っても成り立つ会話ができているということに、ホッとした。
ついでに私の黒衣感が濃くなった。
良いことづくし。

もう1つは、やめどき。
スタート当初は「5回ぐらいできたらいいかな」、8回ぐらいまで来て「10回まで行ったらやめよっかな」など、スキあらば最終回にしようと思ってきた。
「第20回で終わり」は、ほぼほぼ決まっていた。
でも、まぁ例によってやめにくい事情が発生して、「んーじゃあもうちょっとだけ続けるか」ということになった。

で、もうやめどきを考えるのをやめることにした。
別にキリが良くなくても、いつでもやめればいいんだし、考えてみたら注目を集めようとでもしない限り「最終回!」だなんて宣言する必要もないし。
「やーめた」「…と思ったけどやっぱやめるのやーめた」ってな感じで、忘れた頃に気まぐれに復活してもいいし、そのまま忘れてもいいし。
なんとなく急に始まったんだから、なんとなく急に終わることにしよう。
そうと決めたら、これまた自由度が上がった。

ライフ(人生・生活・命)の自由度なんて、こんなもんなんだろうな。
知らず知らずのうちに自分で自分の首を絞めて、気づいたらめちゃめちゃ窮屈になっていることもあるし、ちょっとしたことで無限かと錯覚しちゃうくらい解放されることもある。
なんとなく急に始まって、なんとなく急に終わる。
本当はそういう、実にひっそりとしたこと。

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