Speaking slowly

「ゆっくり話す」を考える。

ネイティブ役をやってみて思ったこと(参照)の続き。

今回の依頼は、同じテキストを「普通」と「ゆっくり」の2種類の速度で読む、というものだった。

私は日本語ネイティブの中ではやや遅口。
日本語を教えた経験のせいなのか、ビジュアル型じゃないせいなのか(参照1 参照2)、頭が悪いせいなのか(参照)、他の何かのせいなのかはわからない。
特徴になるほどの遅さでもないので普段は気にしていないが、今回は依頼あってのことなので、少ーしだけ意識して「普通」を録った。

で、その後「ゆっくり」へ。
ここでおもしろいことが3つ起きた。

その1、「ゆっくり話すって難しい」と思い知った。
油断したり、疲れてきたりすると、つい速度が上がってしまう。
また、1音1音を丁寧に発しすぎて、全体が棒読みになりがち。
抑揚をつけようとすると大げさになりがち。

私は個人的に好きじゃないからしないけど、きっと母音をのばしちゃう人もいるよね。
「ゆっくり」と「ダラダラ」は違う。

その2、自分の「ゆっくり」に自分でイラついた。
話している間もイラつくし、録ったものを聞き直してもイラつく。

その3、「ゆっくり」に慣れると、「普通」が速くて聞き取りにくくなった。
「ゆっくり」を終えてから最初に録った「普通」を聞き直したら、早送りかと思うぐらい速くて驚いた。
同じ日の、自分の読みなのに。

これらを踏まえて、英語学習について考えた。
まず1からは、学習者の大好きな「Can you speak more slowly?」。
あれは本当にやめた方がいいよね。

おそらくは、「英語をうまく話せないうちは、遅口」「上達してペラペラになったら、早口」みたいな前提があって、「遅いのを速くするのは大変だけど、速いのを遅くするのは簡単」とか思ってんじゃないかな。
自分の母語で、やってみ?
遅く話すのは簡単ではなく、母語では特に難しく、やろうと思ったらかなり意識しなくちゃダメで、誰でもできるもんじゃない。
そもそも自分の話し方が速いか遅いか無自覚な場合も多いし、話す速度を相手に指定されることを快く思わない人もいる。
「まぁそう興奮しないで」の代わりに使われることだってあるわけだし。

しかも、仮にリクエストどおり“slowly”をやってもらったところで、実際の原因は速度ではなく語彙や文法や内容の理解だったりして、結局「解決しない」ってなことにもなり得るんだしね。
「ゆっくり」より、「もう一度言ってもらう」「わからない部分について尋ねる」の方がずっと有効だよ。

続いて2からは、いわゆるリスニング教材などから聞こえてくる音声がどんなに遅くても、学習者がいつまでも「イラッとしない」「平気である」ということに対して、教える人がもっと敏感にならなくてはいけないな、ということ。
そりゃ学習初期には多少ゆっくりでもいいけど、何年も経って、中級・上級などのように習熟度が上がっているのに聞いている音声教材の速度が上がらないというのはまずい。
そういえば私は最近よく英語ネイティブユーチューバーの文法解説動画を見ているが、たいていは1.5倍速、ちょっと込み入った内容のものでも1.25倍速にしている。
もちろん時間を節約するのが主な目的だけど、ノーマル速度ではイライラしちゃうんだもの。

そしてこれに関連して3は、「学習者を“ゆっくり漬け”にするのはよくない」ってこと。
ネイティブの私が、普段より少ーしだけ速度を上げたとはいえ自分の話した日本語を聞いて、「は、速い」と面食らっちゃうぐらいなんだよ?
普段「ゆっくり」にしか触れていないノンネイティブの学習者が、「普通」の英語に出会って受け止めきれるわけないじゃん。
さんざん甘やかしておいて急に崖から突き落とすみたいで、かわいそうよ。

これは日本の英語教室だけじゃなく、アメリカのESLでも同じだよな。
今度ESLの先生たちと会ったときに話してみよう。

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