久しぶりにネイティブ役をやってみて、思ったこと。
たとえば日本で見かける不思議な英語風の文字列。
「ネイティブをちょっと捕まえて、チェックしてもらえばいいのに」「なんでしないんだろう」と思っていたんだけど、このたび、「ははぁ、こういうことか」となった。
「非ネイティブの書いたテキストを、ネイティブ発音で読む」という依頼。
しかも、「短時間でさくっと!」。
もちろん、読みながら、気にならないわけがない。
スルーするのはとても難しい。
でも、気にしだすとキリがない。
修正、校正は越権行為だし、大きなお世話だし、なにより締切に間に合わなくなる。
また、たとえばターゲットとなっている文法項目を定着させるなど、多少の不自然さよりも優先される大切な目的があって、あえてこうなってるのかもしれないし。
そこまでは聞いてないし。
微妙だけど、まぁ通じないほどじゃないし。
目をぎゅっとつむり、モヤモヤを呑みこんで、依頼されたことだけを全うする。
こうして、不思議な文字列は晴れてネイティブチェックを通過し、世に出る。
んんんー。
今回は交渉の余地もなく、またお困りの様子だったので引き受けてしまったのだけど、言語学習に携わる者として、やっぱりジレンマと、加担しちゃった感が残る。
もうやんない。
やるならテキストをつくる段階から参加しないと。
こういう仕事は、ネイティブの中でも、言語的にあまり敏感じゃない人が担当しているんだろうな。
仕事と割り切っているのかもしれないし、本当に気にならない人は、さっぱり気にならないんだろうしね。
報酬、時間、エネルギー、依頼主との関係などにもよるだろう。
依頼主が教育者かビジネスの人か。
自分たちのつくっているものにどれくらいの情熱を注いでいるか。
誇りはあるか。言語学習者への愛はあるか。
良い教材と、そうでもない教材の違いはそこにあるんだよなぁ。
ネイティブかどうかは、判断の役に立たないどころか、むしろ判断の邪魔になりうる。
気をつけなはれや。
「短時間でさくっと!」を、特に最初のうちは心がけていたけど、結局そうはいかないわけで。
依頼者の想定の何倍もの時間をかけて、丁寧につくった。
これを正しくコピーした日本語学習者が、どこかで実際に使ってみて、「んー、まぁわかるけど、ちょっと変だよ」と親切なネイティブに修正してもらえますように…と、無責任な祈りをこめて。