1周年

『あの人の英語の、ホントのところ』を始めて、もうすぐ1年。

「英語を話せる日本人」とか、「英語学習法」「英語ペラペラへの道」とか、いろいろ言うけど、実際のところ、その中身は十人十色、百人百様、千差万別。
いつどこから始めても、どこをどう通っても、別に構わない。
他の人に効いた方法が自分に効くとは限らないし、自分のやり方が他の人のやり方と違っていても、まったく問題ない。
英語が好きでも嫌いでも、どっちでもいい。
そのことを、私は日本やアメリカやオンラインで、幼児からシニアまで、職業や経歴、学習環境や学習習慣、言語感覚の異なるいろんな人々を見てきた経験から確信している。

でも、日本人英語学習者たちの中には、どうも「誰でも必ずペラペラになれる、完璧で万能な、唯一の英語学習法」のようなものがどこかに存在していて、自分が英語を使えないのは、まだそれを見つけていないからだと思っている人がいるようだ。
あるいは、「英語を話せる人像」のような固定されたモデルを持っていて、その像に自分を寄せに行ってみたり、寄せること自体に疲れてしまったり。

そもそもの問題は、「英語を話せる日本人」のサンプルが身近にほとんどいない、ということかもしれない。
「英語が話せるなんて、せいぜい英語の先生、あとはテレビや動画で見る程度」という環境では、その人がどういう学びを経て今に至っているか、詳しい話を聞くチャンスがない。
「人それぞれの学習」が見えてこない。
よくわからないから、ついわかりやすい宣伝文句に乗せられて、宣伝用に都合よく描かれたモデルや“売れスジ”の学習法を鵜呑みにしてしまう。
サンプルが少なく、あたかも貴重であるかのように演出されているから、やたらに憧れたり、目がハートになったり。
そして知らないうちに独特な深みにはまって、ガラパゴスなことになっちゃったり。
まぁ長きに渡りメラメラ燃え続ける“英語熱”に対して焼け石に水な気もするけど、学習者の目に触れるサンプルが増えれば、もしかしたら多少冷静に判断できることも出てくるかもしれない。

幸い、私の周りには「英語を話せる日本人」のサンプルが豊富にあり、魅力的な人がとても多い。
試しに私の思いつきを友人たちにぶつけてみたら、「やりましょう!」となって、探り探りで始まって、あっという間に1年が経とうとしている。
今日までにインタビューした人、19人。
記事を公開するたびに「もう出尽くしたかな」と毎回思うのだけど、次のインタビューでは必ず新しい発見があって、世界というものの広さに感心する。

ゲスト交渉はあいかわらずおずおずと声をかけ、快諾されることもあるが、最近は「私なんかでいいんでしょうか」と恐縮されることも。
公開後、記事の影響でゲスト周辺に新しい動きが生まれることも。
「いつも読んでいます」「ファンです」なんて言っていただくことも。
ゲスト同士の横のつながりも、ちらほら。

そういえば、ちょうど1周年だし、ゲストと読者/リスナーが対話できる機会をつくってみようかな。
そんなことをふと持ちかけてみたら、また「やりましょう!」となって、「よかったらこれ使ってください」「ぜひ参加したい」「おもしろそう」となって、あっという間に実現の運びとなった。
ま、いろんな「あいだ」であっちとこっちをつなぐのは私の使命らしいから、いいんだけどさ。

というわけで、『あの人の英語の、ホントのところ』の、つづき(仮)。
どうなることやら。

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