「英語の先生のやり方がコロコロ変わって困る」という話を聞いた。
中高一貫の有名進学校で、英語の授業のやり方が次々に変わる。
そのたび生徒は「あ、また何か新しいことが始まったんだな」と思って付き合う。
付き合いはするけど、特に英語が得意じゃない生徒たちは、やり方のほうに時間や気を取られて、肝心の英語がわからなくなる。
やり方に慣れてきたころには、また次のやり方が導入される。
生徒や保護者は、「先生は勉強熱心な方だから、常に新しい“教授法”や“ツール”を仕入れてきて、それを教室で試していらっしゃるんだろう」という感じで、受け入れ、従い、とりあえず見守る、みたいなことになっているらしい。
なるほどなぁと思った。
日本の現場の先生方のことはほとんど知らないけれど、すれ違う程度にお会いしたり、SNSなどに投稿される内容をたまーにチラ見する限り、勉強熱心な先生は大変に勉強熱心でいらっしゃる。
余暇や休暇はとても少ないように聞くけれど、日々、教材研究や授業研究に勤しんでいらっしゃる。
週末は各地で研修会や研究発表が催され、日本全国から先生たちが遠路はるばる集まってこられているようだ。
私はまったく不真面目で不届きなゴロツキなので、仮に教員だったとしても、そこまで血眼になって情報を探すことも、見つけた情報に片っ端から食らいつくこともしないだろう。
仮に研修や研究発表会に参加しても、前のめりにメモを取りもしないし、興味のないものには一切興味を示さないし、興味のあるものでさえ鵜呑みにすることはないだろう。
仮に拾った情報から気に入ったものを自分の授業で使うことがあったとしても、よそ様の事例が自分のところにぴったりということはほぼありえないから、どこをどう使うと“うちのコ”に効くかをとても慎重に考えて、少ーしだけ混ぜこむ程度にするだろう。
気が小さいので、生徒たちに「あぁ、また新しいのを持ってきたんだな」と見破られちゃうのは恥ずかしいし、まして、「先生の実験に付き合ってあげよう」なんて思わせるのは申し訳なさすぎる。
生徒の時間は私の時間より大事だもん。
仮に職員室でプレッシャーをかけられようとも、同僚のスケジュールがパンパンなのを横目に見ていようとも、お構いなしでぐーたらしているんだろう。
でも、まあそんな輩が教員になれるはずもなく。
真面目で熱心な先生方が、自らの授業に磨きをかけるべく、アグレッシブに大胆に、革新的に頑張っていらっしゃるのであろうぞよ。
すべては日本人の英語力向上のために。