『春は鉄までが匂った』を読んだ。
ある会で紹介されていた縁で知った本。
正確には、「本当はこの本を読もうと思ったんだけど、手に入らなかったので、同じ著者の別の本を読んだ」という紹介だった。
私は泣けるほど不器用でデザインのセンスがなく、脳が3D非対応なので、モノはなーんにも作れない。
だから職人に対する憧れがとても強い。
職人の話を聞いたり、ドキュメンタリーを見たりするのは大好き。
だからこの、職人が書いた職人についての本をぜひ読んでみたいと思った。
「入手困難」といっても、研究用に追い求める本の手に入りにくさと比べればどうってことない困難さだった。
「手に入りやすいから読む」という孫引きみたいな態度で職人の話を聞くのは、なんというか居心地が悪いしね。
内容は、はっきり言ってほとんどわからなかった。
そういえば私は町工場というものをナマで見たことがないのだなぁと気づいた。
最近日本で流行ったらしい町工場系ドラマですら見ていない。
ルビが少ないせいもあり、機械や道具の名前はなんて読むのかさえわからない。
もちろんどんなものなのか、想像することもできない。
知っていればきっと、ここに描かれている音や温度や空気感が間近に迫ってくるだろうに。
むしろ、ハンコオを売りに来た場違いなおねえさん (pp.76-77) の方に共感する始末。
それでもやっぱり、どうしても感動するのだった。
カッコいいと思っちゃうのだった。
いや、全然わかってないんだけどね。
「わかる」と思うなんて、百万年早いんだけどね。
「信仰に近い」(p.145)というのも、美と合理性のバランス(p.180)も、根強い神話(p.199)も、新しいアイディアの伝わらなさ (p.206)も、商魂を横目に胸がザワザワする感じも、ゴルフボールのおばけ(p.96)の虚しさも、どうしても「わかる」ような気がしてしまうのだった。
「強さだけではひとにすすめられないだろう。
仁に近い毅さだけが、ひとにすすめられるはずだと思う。」(p.233)
がんばろう。
小関智弘. (1993). 春は鉄までが匂った. 現代教養文庫. 社会思想社.