「イベントがやめられない」みたいな人、結構いるんだな。
私は引きこもりで面倒くさがりで、さらに「来るもの拒み、去るもの追わない」質なので、取り立ててイベントを求めることはない。
どちらかというと、なるべく参加したくない。
良い予感がしないものは、空気を読んだうえでお断りする。
一方、ピンと来たイベントはできる限り参加する。
費用対効果がすべてではないし、その“効果”にしたって定義次第でどうとでもなるけど、いちおうそれなりにのっぴきならないことの合間を縫って時間を捻出しなくちゃならないし、交通費などお金もかかったりするし、気力や体力にも限界があるわけなので、それらのリソースを使う価値がありそうなものにしか参加しない。
隅から隅まで大当たりのイベントはめったにないが、イベント自体はいまいちでも、個人的に得るものがあることは多い。
ところが世の中には、イベントが大好きで、見つけたイベントは、その内容に関わらず手当たり次第に参加しているような人がいる。
私の個人的な感覚では、日本に多いように思う。
年代によって動き方に多少違いがあるが、基本的には老若男女、都市部を中心に「イベント依存症」とも言える状態の人がたくさんいそうな気がしている。
イベント依存症はSNSと相性が良い。
企画や告知の時点で「いいね」や「シェア」を連打しあうことに始まり、イベント会場ではオフラインならではの高揚感を味わい、大勢がギュッとくっついた集合写真の撮影に感動を覚え、終了後には画像と感想を投稿しあってまた「いいね」や「シェア」を連打しあう。
これを1セットとして、同時進行で複数のセットをこなしながら、気がつけば日々なんらかのイベントに関わっているという状況ができあがる。
イベントに参加しないことは、この連帯感や高揚感や歓喜や一時の幸福感を味わいそびれ、代わりに、参加者たちの発する圧倒的にポジティブな勢いによって、後悔や敗北感、疎外感、劣等感などを味わうことになるかもしれない。
自分のカレンダーやタイムラインからイベントが消えるなどということは、あってはならない。
それは恐怖にもなり得るだろう。
運良く運悪く、彼らの傍にはイベント業という商売があって、彼らの欲求を受け止め、さらなる欲求を掻き立てるべく、腕を磨いている。
何のイベントかは関係がない。
イベントでありさえすれば、そこには人が集まる。
「そもそもこのイベントをやる意味があるのか」とか、「このイベントに出席するとどうなるのか」とかいう、堅苦しい話は要らない。
楽しければいい。
思考停止バンザイ、判断難民歓迎。
依存症は、たとえば薬物やギャンブルなら法律も手伝って止めてくれるが、活動が合法的で、金銭的負担が軽いものは、止められにくい。
社会的に良いことと見なされているようなものの場合は特に厄介。
周りは止めるどころか、続けることやより積極的に参加することを推奨してしまう。
仕事中毒、資格試験や勉強会、ボランティア、一部の宗教への依存もそうだよね。
依存症に陥りやすい人には共通した特徴がある。
彼らを救える研究分野があるとしたら、主だったところでは心理学や脳科学だろうか。
学問以外では、少数、おそらくは単数の人間による、無償の愛。
英語や教育のイベントでも、イベント依存症と思しき人に会う。
参加していれば安心で、参加しないと不安なんだろうと思う。
さほど内容のないイベントを過大評価するようなところもある。
ドーパミンが出過ぎている。