いまさらシリーズ。
「subscription」の日本語訳について。
「subscription」は、基本的には「署名すること」という意味。
「sub(下の方)」に「scribe(書く)」ということで、契約書などの書面を上から読んでいって、最後にサインを書き入れるイメージ。
そこから、「申し込み」や「登録」などの意味につながる。
(注:英語学習者はこんなざっくりした説明で納得せず、きちんと辞書を引いて自分で確認しましょう。)
似たような意味で、むしろ「上」方向のイメージを持つ「sign up」というのがあるが、あちらはたかだか100歳程度の若造。(参照)
「subscription」はその6倍以上の歴史を持つので(参照)重みが違う。
日本語には、「上から下まで目を通して、署名すること」を表す語や表現が英語より豊富にあって、その内容に応じて使い分けるようになっている。
たとえば新聞。
日本語では、新聞は「取る」といい、「取っていること」をあえて言いたい場合は「契約」と呼ぶのが自然だろうか。
「新聞を止める」のような言い方をする場合は、「新聞」がsubscriptionに当たる。
新聞社側から見たsubscriptionは「定期購読(契約案件)」になるのだろう。
保険のsubscriptionは、日本語では「入っていること」で、加入済みのものを指すときは、新聞の場合と同じく「契約」とか「保険」とかと呼ぶことが多いかもしれない。
団体へのsubscriptionは「会員登録」に当たることが多そうだが、芸術など一部においては「パトロン」みたいな呼び方もアリだろう。
農作物などのお取り寄せでは、「定期宅配」と呼ぶようだ。
このように、「subscription」周辺には、金銭が関わる物事が多い。
でも、それはいわば偶然で、「subscription」自体に金銭が関わる必然性はない。
実際、「Free subscription」というのも普通によくある。
ここまで読んで、カンの良い人ならお気づきだろうと思うが、私が引っかかっているのは「購読」という訳だ。
「subscription」をイコール「購読」と訳し、金銭の発生しない場面でも平気で使われているのがどうにも気持ち悪い。
さらには「Free subscription」がそのまま「無料購読」と訳されている場合も。
「購読」の「購」は、何かを差し出して、代わりのものを受け取ること。
貝偏が示すとおり、差し出すものは、通常はお金。
「購読」とは、「お金を払って読むこと」であるから、「登録して読むこと」は登録が有料の場合に限り、「購読」に該当する。
「無料購読」は「タダでお金を払って読むこと」でしょうかね。
ま、いつもの感覚的なユルい言語使用の話なので、目くじらを立てるつもりはない。
ネット上をざっと見渡すと、文章や言語に近い活動をしていると思しき人や団体でさえ、金銭の発生しないものを「購読」させているケースがたくさんある。
英語の「subscription」の使い方を知っているような人や団体も例外ではない。
だとすると、社会言語学的には「日本語の『購読』は『お金を払う』という意味を失いつつある」と考えるのが妥当でしょうかね。
そういうことなら、私の現在の気持ち悪さも、いずれは解消されていくことになるのかもしれない。
うーむ。
それは、日本語母語話者の英語学習という観点からは便利でウェルカムなことだろうけどね。
日本語母語話者という観点からは、雑で残念なこと。
ことばに対する繊細さを保つって、大事なことだと思うんだけどなぁ。
おもしろいのは、「購読」の「購」が本来の意味から離れ、「有料とか無料とか、ま、細かいことはいいじゃないっすか」という感覚的勢いで使用範囲を広げているのに対し、「購読」の「読」は依然として「読みもの」から逸脱する気配を見せていないという点。
同じユルさで、「読むとか読まないとか、ま、細かいことはいいじゃないっすか」となって、たとえば動画も「購読」、会員証も「購読」、野菜も「購読」となってもよさそうなもんだと思うけど、そうはならない。
少なくとも今のところはなっていない。
この、パターンがあるようでないような、ないようであるようなところが、感覚派の強みなのよね。
かなわない。