20歳の私

成人の日にちなんで、20歳(ごろ)の自分が書いたものを読む。

部屋の整理をしていて、たまたま発掘した。
私は整理のたびに何でもあまりためらわず捨ててしまうタチなので、すでに捨てられているものもかなりあるはずだけど、大学時代に書いたものは残してあったのだろうか。
授業で提出したものや旅行の記録がまとめて出てきた。

特にじっくり読んだのは、日本語のエッセイ(原稿用紙5枚)1本、授業の感想メモ2本、英語のエッセイ(レポート用紙4枚程度)3本。

日本語のエッセイと感想メモは「英米事情」というクラスのものらしい。
原稿用紙のはFinalらしきもの。
メモは「今日の授業で学んだこと、有意義だったこと、思いついたこと、感想、意見、質問などを書いてください。」というイントロがある。
どの書きものを見ても、私の意見は一貫していて、
「一部だけ切り取ってとやかく言うことはしたくない」
「本当に重要なことを考えたら、呼び方なんてどうでもよい」
「アメリカにはアメリカの、日本には日本のやり方があるんだから、よく知らない者同士が自らの価値観で相手を良いとか悪いとか判断するのはおかしい」
…とか、そんな感じ。

で、それに対して担当教授が毎回「いや、そうじゃないだろう」とコメントしている。
どんな教授だったか覚えていないが、おそらく「英米、特にアメリカの素晴らしさ」を学ぶクラスだったのだろう。
無理やり思い出すと、熱心に語る教授に学生たちがまんまと感化され、「そうだ、アメリカを見習わなくては。日本はこのままではいけない」となっていく様子を、「うそーん」と思って眺めていたような記憶がうっすらあるような気がしないでもない。
「思いついたこと、感想、意見」なんだから、私が思ったことを自由に書いて何が悪い、という態度だったのだろう。
最終のエッセイもそんな感じで臨んでいるせいか、教授はところどころ大きく波線を引いて反論コメントを記している。
参考文献の書式を無視して減点されているのも私らしい。
成績はBをくらっている。

英語のは、詳しいことはわからないけど、たぶんWritingのクラスの課題なんだと思う。
1本めはお題を与えられて書いたものっぽい、”University Education in Japan”。
勉強ずくめの高校生活を脱した後に続く日本の大学を自由時間たっぷりの”paradise”と呼び、自分を含め勉強しない大学生を批判しているふうに筆を進めながら、やりたいことを見つけるために自由時間は必須であると展開し、それが多分にある大学時代という時期はやっぱり”paradise”なのである、と締めくくっている。

2本めは”The First Day of Visiting England”で、単なる海外旅行の記録。
若者にありがちな、自分の感動に表現が追いつかず、読み手を無視して書き連ね、結果的にただの情報の羅列に陥った駄作。

3本めは、たぶん学期末の作品で、自由課題だったのだろう。
“A City Journey”というタイトルで、東京の人々が通勤する様子を物語に擬え、駆け込み乗車のスリル、満員電車内での”silent battle”、心のゆとりとロマンスに満ちた時差通勤を描写している。
電車内に突如現れた大型犬のエピソードを冒険物語に付き物の”monster”として挿入。
さらに帰宅の電車で座席の埋まる順序や乗客の立つ位置を題材に心理戦を描いて、「幸運にもこのゲームに勝利した者は、自分の好みの座席を獲得でき次第すぐに居眠りを始めることができる」として、ハッピーエンドかと思いきや、「乗り過ごしさえしなければね」と締めている。

英語としては、まぁ一般的な日本の大学生レベル。
私が出会う、いまの日本の大学生~社会人の書く英語の中に、違和感なく紛れ込める。
文法は概ねおさえているが、細かいところは感覚に頼ってごまかしている。
語彙は平均的な乏しさで、日本語がわかる人にはわかるけど、英語としては意味不明というところが散見される。
和英辞書に頼って不自然にBig wordを挿し込んでいるが、本人はその歪さに気づいていない。
この程度の英語の文章でAをもらっているのは、Writing としては不当だと思う。
担当教授が甘かったか、内容がおもしろいから加点されたか、どっちかだろう。

でも、まぁこんなもんかな。
書き手である20歳ごろの私のプロファイルは、英語好きでもなければ文学への興味はゼロのなんちゃって英文科の学生。
本や新聞はいっさい読まず、就職活動用に急ごしらえで「時事用語」を暗記で仕入れて乗り切ろうという不届きな若者。
英語はバイトでちょっと使う程度で、テキトー。
将来英語を使う予定はないから、これ以上勉強する気なんてさらさらない。
外国で生活するなんて、まして大学院に行くなんて、夢にも思わなかった。

は。
だとすると、そんないい加減な昔の20歳と、真面目な現代の20歳とが、同じような英語を書いてちゃダメじゃない?
学校でやるから仕方なく付き合い程度に英語を学んだ20歳と、小さい頃から英会話学校に通ったり、資格取得に励んだりしている20歳とが同じくらいの英語力じゃダメじゃない?
スマホも持っておらず、外国人と交流する予定もない20歳と、グローバルでワールドワイドに活躍する予定の20歳とが、見分けがつかないような仕上がりじゃダメじゃない?

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