寂しがりやほど義理を欠くという、不思議なような、理にかなっているような話。
日本のシニアの世界には「恥欠く 義理欠く 人情欠く」なんて格言があるらしい(参照1 参照2)。
元は「そんなにしてまでカネを集めるってどうよ?」という戒めだったようなのだが、現代のシニアの中には「無駄なイベント出席や出費は避けましょう」という意味で、推奨している人もいるみたい。(参照1 参照2)
そういう話じゃなくて。
日々、いろんな人といろんなお付き合いをする中で、義理堅い人や義理ゆるい人に会う。
義理堅い人は本当に些細なことに対しても義理堅いし、義理ゆるい人はまあまあの大事に対しても義理を欠く。
この現象を、「感謝やケアなど、自分が相手の考慮に入ったかどうか」という軸で見ると、うれしくなったり腹が立ったりするのだろうけど、「その人個人の義理の堅さ・ゆるさ」という軸で見ると、自分の感情に影響を与えることなく、興味深いパターンとして観察することができる。
義理と言っても、なにも重々しいことじゃなくて。
一言お礼するとか、約束を守るとか、返事するとか、そういうことね。
義理ゆるい人は、募集や依頼の段階では活発で、動きが大きい。
で、事が終わるとぱたりと動きが止まる。
義理堅い人は、事が終わった後ほどよく動く。
義理ゆるい人には、体調不良や機器の故障や、うっかりミスや勘違いなどが急に重なる。
催促されずに済むことなら、そのまま時が流れてうやむやになる。
催促された場合には、「いろいろあって、詳しくはまた説明しますが、とりあえずそんなわけで、義理を欠いているのはわかっているのですが、しょうがないんです」という途中経過を入れる。
義理堅い人はアクシデントが少なく、仮にアクシデントが起きていても先方にそれを悟られることなく義理を果たす。
義理堅い人は、やるべきことをきっちり、さっさとやることに慣れている。
だからどんなに多忙でも、ほんの数分で済むことを怠らない。
義理ゆるい人はその知恵がないので、後回しにして自らハードルを上げ、気が重くなってさらに後回しにしているうちにタイミングを逃す。
義理堅い人は、いつどんな場面でも等しく義理堅く、義理ゆるい人は、事の大小や上下関係や損得など、その時々の本人の判断によって選択的に義理を果たしたり欠いたりする。
義理を果たすという行為は、義理堅い人にとってはとても重要で、簡単で、無差別で底なし。
一方、義理ゆるい人にとってはどっちでもいいことで、限定的で面倒なものなんだろう。
だとすると、これは価値観の違いでもある。
そして義理ゆるい人は往々にして寂しがりや。
常に人恋しくて、注目を集めたくて、オトモダチをたくさん持っていたりするけど、寂しくてしょうがないタイプが多い。
いや、だったら義理ゆるく、わざわざ人が離れていくようなタネを蒔くようなことしなきゃいいじゃん、と思うけど、そのあたりが自業自得というか、因果応報というか。
うまいことできているのである。
この手のことを考えだすと、いっつも同じ結論になっちゃうな。
そういう法則なのか、私の想像力の限界なのか、どっちかな。