5年ぶりの地震に対する反応をきっかけに、気づいたこと。
「日本で大きな地震があった」というニュースがアメリカにも届いた。
今年4月の熊本のときはとても静かだったので、もうそういう反応はなくなったのかと思っていたが、そうじゃなかったみたい。
アメリカでよく知られている「福島」という地名、そして「津波」というキーワードが揃ったために、まるで2011年の再来かのような反応が起きた。
もちろん似たような反応を示す人はアメリカ以外にもいたようだった。
このタイプの人の反応は、場所がどこであれ、出来事の内容が何であれ、だいたいいつも同じ。
自分で自分の不安を処理できなくて、判断がすっ飛んで、慌てちゃうのだ。
急に悲観的になって、怖くなって、パニクっちゃうのだ。
で、気づいたこと。
私はそういう人の動きを放っておけるようになった。
気の毒だし、周りはある程度巻き込まれて困るんだろうけど、本人が落ち着くまでしばらくはしょうがない。
この変化を「冷たくなった」と呼ぶこともできるんだろうけど、私はそうは思わない。
そして感受性の強そうな人に対し、不安や不穏やざわざわした雰囲気に引きずり込まれ過ぎないようにと声をかけた。
両親、特に母にはニュース映像をなるべく見ないように言った。
5年前にはできていなかったことで、いつの間にかできるようになっていたことが、私にもあったんだなぁ。
この5年、いかにも不毛な日々を送り、無駄飯食いで、何の成長も感じられないと思ってたけど。
そうでもないのかな。