二の足

「二の足を踏む」について、学ぶ。


私の周りには「二の足を踏む」タイプの人が結構いる。
日本人に絞ると、その割合は高まるような気がする。

私自身は「一の足」しか持っていないので、一歩目を出す場合と出さない場合はあるけど、一歩目が出たのに二歩目が出ないということは、たぶん、ない。
「おもしろそうだったから、つい」は私の“座右の銘”(誤用)である。
だから「二の足を踏む」感覚を知らないし、そうしたくなる気持ちが理解できていない。

たとえばワークショップの募集などをすると「おもしろそう」「ぜひやってみたい」などの声があがる。
でも声をあげる人は実際には参加しなかったりする。
私はその現象を「お世辞」と解釈して「本当はそう思っていないけど、私に気を遣って良いコメントをしようとしてくれている」と思っていた。
「一の足」タイプの私には、「やってみたい=やる」「やらない=やってみたくない」という、超単純な解釈しかできないのだ。

やりたくないものを無理に勧めるのは好みじゃないし意味もないので、一度ご案内して動きがなければ、それ以降は基本的にご案内しない。
「一の足」タイプの私は、一歩目を出すか出さないかでくっきり線引きしているので、最初に一歩目が出なかったものに対して、短期間のうちに気が変わってやる気になることは考えにくい。
あとから「一の足」を踏むこともないことはないが、それは、ある程度の期間を経て、いろんな変化を経て、その時々の事情に応じて改めて検討した場合。
興味のないことに対して連続で同じ案内が届くのはしつこくてイヤだなと思う。
やりたい人はやればいいし、放っておいてもやるだろうし、やりたくない人はやらなくていいからね。

が、どうやら世の中はそう単純ではないらしい。
「やってみたい」の人が、しばらく時間を置いて、「あのー、ちょっと聞いてもいいですか?」みたいな感じで控えめに質問をしてくれることがある。
で、それに答えると「じゃあ、やってみます」となったりする。

???
私には意味がわからない。
何がどうなるとそういう行動になるのか、理解できない。
でも、待てよ。
そういえば、そんなことが時々ある。
いや、ひょっとしたら珍しくないのかも。
我が身のOutlier っぷりをしっかり踏まえて現実的に考えると、これが“多数”というものかもしれない。

で、良い機会なので「二の足」さんたちの意見を集めてみることにした。
たとえばワークショップについて、「興味あるけど、とりあえず見送り」にする気持ちってどんな感じ?
何がどうクリアされたら「やってみよ」ってなるの?

んまー、出るわ出るわ。
少なくとも2-3個は、パパッと答えられる人が多い。
さらに時間をかけると、もっと他にも出てくるらしい。
「自分はそうじゃないけど、他の人はたぶんこう」みたいなことも思いつくらしい。
で、その回答はわりと似通っている。
あぁぁ、やっぱり私はOutlier だったのか。
世間知らずぅ。

「二の足」さんたちに“取材”する中で、「emiさんには『興味アリと興味ナシの間』って、ないの?」と聞かれた。
興味アリと興味ナシの間?
あいだ、ねぇ。
考えたこともなかった。
そう答えたら、驚かれた。
驚かれたエピソードを別の人に話したら、また驚かれた。
「興味アリと興味ナシの間」は、あるのが“普通”で、しかもたくさんあるらしい。

ははぁ。
「ずっと気になってるけど、なかなか…」とかってのも、そういうことなのかね。
興味があるのは、嘘じゃないのね?
興味があっても、行動に移さないことがたくさんあって、行動に移さなくても興味が失われないということがあり得るのだね?
だからすぐ行動する人は「すごい」ってなことになるのね?

ふむ。
ちょっとわかってきたよ。

私は面倒くさがりなので、興味がないものとはなるべく関わりたくない。
そして、とにかく記憶力が弱いので、興味があるものは忘れないうちに行動に移しておくしかない。
やらないと忘れちゃう。
都合があって「興味あるけど、できない」場合もやらないわけだから、すぐ忘れちゃう。
「忘れたものに興味を持つ」って成り立たないと思うし。
Life is short だし。

でも世の中には、自分の中で興味をじわじわ育てて、自分の不安に一つずつ慎重に向き合って、積もりゆく心配と戦いながら、それでも勇気を振り絞れるか、自分に問いかけ、情報を集め、じっくり検討して、結論を先送りにしつつ、でも興味を失うでもなく、引き続き興味を保ちながら検討を重ねる、みたいなことをやってる人がいるんだな。
で、そんなに長く多くのプロセスを経ているから、いざ実行となったときに時間やエネルギーが足りなくなってたりするわけだな。
終盤になって慌てて滑り込む、とか、間に合わなくて後悔する、とかも、そういうことかしら。
きっと命のサイズ(参照)が大きめなんだろうな。

考えてみると、その傾向は現代日本においてますます強くなってきているかも。
あの遅さの秘密は、これなのかも。

で、興味深いので、取材したことをちゃんとまとめて、Q&A的なものを作ってみることにした。
さっそくウェブページを作って、「二の足」さんたちからのお返事が届き次第、中身を埋めて公開できるようにしてある。
近日公開。かみんぐすーん。

…と書いていて、気づいた。
ここでも「一の足」な私の側は、とっとと動いて、やることやって、もう終わっているわけだね。
一方の「二の足」さんたちは「返事します」と言ってから、ゆっくりじっくり、返事を育てているのだろう。
いやぁ、実におもしろい。

改めて考えると、これまでの私は「二の足」さんたちの不安に対してあまりにも無頓着だった。
速度が違うことも、違う理由も知らなかったので、彼らの行動を自己流に解釈し、「興味ないなら、しょうがない」と片づけていた。
私としてはしつこくしないための配慮だったが、彼らからしてみれば「興味はあるのに…」「まだ考えてたのに…」と、切り捨てられたような感じだったかも。

「二の足」さんたちのペースに合わせて、待ち、彼らの心配事に対応し、安心してもらう。
「怖くないよ」「大丈夫だよ」と伝えて、納得してもらう。
それは、彼らの背中を押すことになるのかもしれない。
やり方さえ間違えなければ、しつこくイヤなものじゃなく、むしろうれしいものなのかもしれない。
彼らに重い腰を上げ、「二の足」を前へ出す体験をしてもらうと、何か良いことにつながるかもしれない。

私がそれをやる必要があるのか、できるようになるのか、そこまでする必要はないのか、やっても無駄なのか、むしろ彼らを変えるべきなのか、彼らは変わらないのか、そのへんは考えどころだけど、ま、物は試し。
これもまた「興味があるから、やってみよ」なのである。
やってみないとわかんないしね。

【後日追記】
続・二の足 (2016/5/3)

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