ランダム分布

「インターネットを利用しない」という立場から、自分の周りを見渡してみる。

私はインターネットを使わない日がほぼないし、私の生活はインターネットを使わなければ片付かないことだらけ。
研究も仕事もボランティアも、日々の連絡も調べ物も、インターネットに頼らなければ回っていかない。

「類は友を呼ぶ」な側面から言うと、私の周りには私と同じように、インターネットがないとどうにもならない環境に身を置いている人が多い。
しかし、私の周りには「多種多様・千差万別」な側面もあるので、インターネットとの関わりをまったく持たなかったり、持っていてもほんの少し、という人もいる。

おもしろいのは、同じ「ネット使わない」でも、アメリカで出会う人と日本で出会う人とは特徴が異なる点。

アメリカで出会うのは、経済的、能力的、心理的な事情などから、インターネット以外にも生活にさまざまな制約がある人たち。
インターネット「も」やらない人たち。

日本にも同じような事情の人はいるだろうが、私が特徴的だと思うのは、何らかの考えに基づいて、インターネットを避けている人たち。
あえてインターネット「だけ」やらない人たち。
インターネットをやることに対して否定的で、やらないことを肯定的に捉えている人たち。
このタイプの人たちに、私はアメリカでは出会わないのだが、日本では時々出会う。

先日も、“ネットやらない”な友人に「ネットに書いてあることなんて99%嘘なんだから。見るだけ時間の無駄」とはっきり言われた。
彼は会社を経営し、社交的で、自己鍛錬に余念がなく、本や新聞を常に読んでいるような人。
メールやLINEはするので、彼の言う“ネット”はいわゆるWWWのことなのだろうが、それにしても、この発言にはいろいろと考えさせられる。

もちろん彼はこのブログも読まないし、私のネット上での活動を一切評価していない。
「やめた方がいい」とさえ思っているかもしれない。
これについて私と彼は議論するつもりがない。
相手を説得して、考えを改めさせようとも思わない。

私は彼に、私の周りにいる人たちは基本的に“一国一代表制”であることや、どこへ行っても私はOutlierであることを伝えてある。
それでも彼は「ルイトモ」派を公言し、私のことも似ている仲間に含んでいる。
訳がわからない。

感慨深いのは、これほど考え方や住む世界が違う人との友人関係が長く続いていることだ。
彼に限らず、私の周りには私と類を異にする人たちが常駐してくれている。
彼ら同士にも共通点は多くない。
年齢、性別、人種、文化、言語、宗教、社会的地位、経済状況、教育レベル、家族構成、居住地、趣味・嗜好など、わりとランダム分布…のように、少なくとも私の目には見える。

だからこそ安心はできないし、ともすると波風が立ちやすいし、もし彼らが一堂に会するようなことがあったらカオスだと思うけど、これは私にとって本当にありがたいことだと思う。

睡眠中の寝返りは、体温や血流を調整し、骨の歪みをとるという(参照1 参照2)。
私がいろんなタイプの人と会い、それぞれの考えを聞き、我が身を振り返り、考え、自分なりに消化しているのは「寝返りの起きてる間バージョン」なのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です