一年の計

「一年の計」の「計」を意図的に勘違いして利用してみる。

『一年の計は元旦にあり』の「計」を、私はずっと「総計、トータル」と勘違いしていた。
「計画、プラン」だと知ったのはわりと最近のこと(参照)。
しかし私は計画や予定や夢や希望など、未来を語ることが大の苦手なので、知った上で、「トータル説」を個人的に継続することにした。

『一年の計は元旦にあり』のワタシ流解釈は、「365日をぎゅうぅっと濃縮したものが1月1日の朝に自然に立ち現れる」というものだ。
「トータル」の内容、つまりどこからどこまでの「計」かを厳密に考えたことはなかった。
前日までに終わった1年に対する評価(「今年の漢字」的な意味)としていたようでもあるし、その日から始まる1年の予言と捉えているようでもあった。
別にどっちでもいいから気にしていなかった。

今年はその『一年の計は元旦にあり』の「トータル・予言編」を積極的に利用することを思いついた。
元旦に現れる濃縮された粒を飲み込んで、そこから先を方向付けてしまうという試みだ。
「1月1日の朝に行ったことは、そこから先の1年を象徴する」という解釈をベースに、さらに「1月1日の朝に行ったことの呪縛から、1年間、逃れられない」としてみちゃうことにした。

「計画」や「希望」はこっぱずかしくて無理だけど、「予言」や「呪縛」なら大丈夫。
この一工夫によって、とうとう私にも未来に目を向けるチャンスがやってきたというわけだ。

そしてこの1年を左右することになる、超重要な1月1日の朝の行動として選択したのは、読書。
もちろん、あえて。
それも語用論あたりの本を読んでやった。
ふっふっふ。
呪縛、完了。

これで私はここから1年、どっぷり本漬け、研究漬けになるのだ。
放っておいても、つい研究に没頭しちゃう体になったのだ。
どんなにサボろうとしても、全力で怠けようとしても、抗いがたい強い力によって阻止され、私は1年中、論文やデータから離れることができなくなったのだ。
そうして、今の腑抜けた日々に終止符が打たれ、私は晴れてしっかり者になるのだ。
絶対になるのだ。

効くかなぁ。
ぜひ効いてほしいなぁ。
正解は、1年後。

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一年の計 (2012/1/1)

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