日本のCMで、最後の方に、「ビーア、ドライバー」と言うのに出会った。
見たのは最後の数秒だけ。
「ビーア、ドライバー。」という日本語に社名の英語版が続いて、終わった。
おぉぉ。
とうとう日本にもUber(参照)の波が来たのね。
それにしてもテレビCMで運転手募集とは、すごい力の入れようだね。
…と思ったら違った。
ウーラーシーマーァ。
まーとーはーずーれーぇ。
アーメーリーカーカーブーレーェ。
あ、車屋さんの宣伝ね。
このコピーが微妙だっていうアレね。
知ってた知ってた。
でも、ずいぶん前の話だったから忘れてた。
まだやってたのね。
熱いストーリーもあるようだし(参照)「めちゃカッコいい」などの声もあるようだから(参照1 参照2)、人気があるんだろうね。
もちろん英語的にどうよ?って声もある。
車屋さん的にどうよ?という声もある。
ま、議論は自由にやっていただくとして。
ワタシ的違和感は、「運転したがるって発想、どうよ?」。
私は運転するのは好きな方だけど、日本の車屋さんが描くような、車をペットや家族の一員、あるいは身の一部などと考える感覚は持ち合わせていない。
車は乗り物、移動手段、道具。以上。
そして、あいにく今の生活だと、運転を楽しむより、誰かや何かに代わりに運転してもらって移動時間を他のことに使ったり、事故や駐車場や地図など、いろんな手間を省いたりする方がありがたさが大きい。
Google 社が開発しているような自動運転車(参照)が普及したら、かなりありがたい。
このコピーには「自分の人生の、主人公になろう。自分の行く道を、自分の意志で選ぶ人になろう。」などの想いがこめられているらしい(参照)。
あら。
うちのサイトに似たようなのがあるね。
「本当の学習は、後部座席や助手席では体験できません。
運転席でハンドルを握るように、自分で学習を進めていく。」(参照)
宣伝しちゃった。
で、だからこそ、だよ。
学習や仕事や、なんでもいいけど、その人が自分の人生にとって大事だと考えることに、本気で取り組む。
この比喩的な意味での“運転”のためには、忙しい毎日の中から時間や心の余裕を捻出する必要があるのだから、実際の運転は誰かや何かに任せて、後部座席で、自分が主人公になるべき物事に集中する。
そういう発想の方が自然じゃないのかな。
車屋さんに限らず、やっていることが最先端風の組織ほど、大きな流れに取り残されやすいってこと、あるからね。
英語教育で言うなら、「タブレットだ」「アプリだ」とはしゃぎつつ、やってることは一問一答式の単語の丸暗記だったりして、正答率が即座に出るとか、クラス順位や推移の管理が簡単とか、「そっちじゃないでしょ」っていう方向に進化しちゃう、みたいなことかな。
ガラパゴス体質の陥りやすいところかも。
それと、「自分がこんなに大好きなんだから、みんなも好きに違いない」っていう無邪気な勘違いね。
車屋さん然り、英語屋さん然り。
いやぁ、それにしても。
Uber さんは日本人運転手募集用に、この、ムードたっぷりの「ビーア、ドライバー。」もらったら?
富裕層向けの安全確実、丁重なおもてなし要員で需要あるかもよ?