続・まさかの時こそ

何かあったとき、いつも思うこと。

非常事態というのは、人間の日常が露呈するときである。(参照

日頃やってないことで非常事態ならできることはあるけど、日頃できていないことは非常事態になってもできない。(参照

日常的に運動していない人が、ウォーミングアップもせずに、急にダッシュしたり、急にマラソンしたり、急に跳んだり。
筋肉のついてない人が急にバーベル持ち上げたり。
そりゃ、息切れするでしょう、ケガもするでしょうと思うでしょ。

心や感情も同じこと。
普段、分厚い鎧を着て、ガードを固めて、他者の進入を完全に塞いで、自分を必死で守って、心や感情にフタをして生きているような人が急に心や感情を動かせば、そりゃ息切れもするし、ケガもする。

日頃動かしていないから、動かし方がわからない。
そういう人ほど、何かあったとなると急に無茶をして、やたらソワソワしたり、燃え立ったり、声を上げたり、ひどく落ち込んだりイライラしたり。
そして案の定、捻挫したりアキレス腱を切ったり骨折したり、心臓に支障をきたしたりして、倒れこむのだ。

日常の過ごし方が似ている人同士は、何かあったときの動き方が似ている。
自分とあの人は似ているだろうな、あの人とあの人は似ているだろうなという、平時にははっきり確認しにくいことが、何かあったときに「やっぱりね」となる。
それだけのことだ。

すべては日々の、些細なことの積み重ね。
それが時々、たまたま露になるのだけど、ならないとしても、日常が常にそこにあり、静かに積み重なり続けていることに変わりはない。
見えている人には見えているということが見えていて、見えていない人には見えていないということが見えていない。
それをどうこうしようと思っていた頃もあったような気がするけど、もうそうは思わない。

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