Love

PhDなMOOC、最終週のテーマは「Love」。

自信(のなさ)、イライラ、孤独、恐れ、混乱、倦怠感など、ネガティブな感情をずらりと並べてきたこのMOOC。
住む場所や境遇や専門分野は違えど、同じような感情に苛まれ、同じように闘っている人たちと「あるある」を語り合ってきた。
最後は「愛」ですって。
まぁまぁ。それはそれは。

人が幸せを感じるために必要なものとしての愛を、知に絡め、研究という文脈に限定して語る機会というのはありそうでなかなかない。
研究に対する個人的な情熱とか、お互いを助け合い、切磋琢磨しながら研究業界全体に貢献するとか、新たな知見を生み出し、世の中の役に立つとか、ね。

で、講義は「図書館から論文ひとつダウンロードするのにも、実はいろんな人のお世話になってるんだよね」と展開し、ディスカッションへとつながる。

Plato(プラトン)、Socrates(ソクラテス)、Epicurus(エピクロス)と、錚々たる顔ぶれに続いて登場したのはMarie Kondo。
「マリー・コンド」なんて哲学者がいるのね。
そこから「モノに感謝しよう」という話になってきて、Marie が高校生のときから愛用していた携帯電話とお別れするときに、お礼のメールを電話宛に送ったというエピソードが紹介されていた。
「ふーん。日本人みたいな考え方の人だな」と思った。

あ?
あぁぁ。
やっと気づいた。
お片づけの人だっ。(参照

まさかオーストラリア発、世界中の±PhDが集まる場で、古代ギリシャ哲学の直後に現代日本人が登場するとは。
なんだろう、この遠くのものが急にものすごい身近になった感じ。
ワタシ的には新喜劇ばりにコケる感覚。
緊張と緩和。
どっかーん。

…待てよ。
ひょっとしてコケているのは私だけ?
他のみんなにはこの流れ、自然なんだろうか。

私は同じ国や地域の出身者を、それだけの理由で身内みたいに扱うのは好みじゃないし、そう扱われるのも苦手だし、有名な人を勝手に身近に感じることはないんだけど、これはそういう現象なんだろうか。
それとも、モノに心のようなものを持たせて一緒に暮らすという、そのコンセプト自体が私の日常生活や考え方の中であまりにも当たり前なので、このレベルの議論のテーマとして取り上げられることに驚いているのだろうか。

受講生たちは特に戸惑いを見せるでもなく、議題に沿って、研究生活に欠かせない愛用のコーヒーカップやパソコンや資料整理のアプリや分析ソフトやノートやペンなどに感謝の意を表している。
モノに感謝するという新鮮さやワクワク感がにじみ出ている。

ふむ。
なんだろう、この、ここに来て初めて最大の異文化な感じ。

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