方言

日本語の方言が流行ってきている、というか、わりと積極的に使われるようになっているらしい。

「あえて方言を使う」という動きが若い世代にあるらしい。
共通語がほぼ100%普及し、地方の人たちも普通に共通語を使うからこそ、場面によって、あえて方言を使うことを選択するというのだ。
明治頃の政府は地方間の“壁”を取り壊して国家の統一を図るため、いわゆる“標準語教育”を行ったが、現代の若者たちは統一された言語をベースに、崩された“壁”を取り戻そうとしているのだろうか。

真面目な言い方をすれば、郷土愛とかアイデンティティとか、そういうことになるんでしょうね。
現実的には、地域性や方言をおもしろおかしく取り上げたテレビ番組やサイト、SNS上での活動などが多いようだから、ウケ狙い、モテテクということじゃないかと思う。
地元以外の場所で「イジられたくてわざと使う」という人もいるようだから(参照)、方言の自虐的要素が好意的に受け止められ、流行っているのだと思う。
少なくとも一昔前の、地方色を隠すために方言を封印していた時代の人たちにはなかった動きだ。

インターネット上で一般の人が投稿している文章には、地方色を濃く打ち出したものがある。
「おったが?」「やっとるんけ〜?」ぐらい強烈だと方言だということもはっきりわかるが、「ちゃんとメンテせんな」「載るらしいだよー」ぐらいだと、私のようなヨソモノには、方言なのか誤字脱字なのか判断できない。

私は郷土愛が薄いのと、方言を使わずに育ったうえ、アナウンスや日本語教育を学んでしまったため、使える方言がない。
大阪あたりの関西弁に憧れがあり、一時は習得を試みたが(参照)続かなかった。
ネット上で話題になっているらしい『方言チャート』(参照)の鑑定結果は神奈川県出身だった。
一度も住んだことないけどね。

社会言語学的な意味で日本語の動向を観察し、常に変化に敏感でありたい気持ちはあるが、私の興味の対象は全国的な現象に限られる。
自分が方言を使わないことによるバイアスだと思うが、方言によって明示される使用者間のIntimacy というか、“壁”内の近すぎる仲間意識が苦手なのだ。
方言を好んで使う人たちはその近さが好みなんだろうけど、私には共通語の距離感がちょうどいい。

どこの方言にも属さず、味も素っ気もない、いわば教科書どおりの日本語を話す。
そのうえ、日本語筋が衰えて、ネイティブにあるまじき手間がかかる(参照)。
郷土愛は弱いくせに母国愛は強い。
言語や文化のことを、いちおう専門にしている。
私は日本語話者としても、かなりのOutlierなのだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です