はぁぅわぅぁぁ。
間違えたー。
昨日、「そういえばシルバーウィーク」と書いた(参照)。
で、それを読んだ人から、「2009年から知ってたなんてすごい」と言われた。
「今年になって、急に言い出したと思ってた」と。
むむ?
今年、急に?
私は自分のような外国にいる者は2009年に知ったところで関係ないからその後すっかり忘れていたが、日本に住んでいる人にとってはもっと身近な名前だと思っていた。
つまり、「シルバーウィーク」の知名度はあまり知られていなかった6年前から徐々に上がり、2015年の現在、とうとう普通に使われるまでになったんだと思っていた。
違ったのか。
このあたり、インターネット時代のウラシマだよなぁ。
ソトにいる人の方が速かったり詳しかったり。
不在にしてる側が追い抜いちゃうんだよね。
特別じゃない現実的なペースや深さなどの加減をバーチャルで体感するというのは難しいのだ。
そっか。
今年になって急に知名度が上がったのか。
考えてみたら、そういう急激・爆発的な方が日本っぽいよね。
じゃあ去年まではこの連休をなんて呼んでたの?
「去年はなかった」と。
あん?
「去年は連休じゃなかった」と。
えぇぇ?
2014年の日本のカレンダーを確認(参照)。
おぉ、本当だ。
去年は敬老の日が1週前の9/15なので、9/22の月曜日が平日になって連休が成立していない。
「休みと休みに挟まれた日は、国民の休日」と覚えてたけど違ったのか。
そっか。
そんなオセロみたいなルールだったら、火曜が祝日になるたびに月曜が「国民の休日」になっちゃうか。
え?
待って待って。
じゃあ、たとえば私は来年日本で9月を迎えても「シルバーウィーク」デビューできるとは限らないわけ?
そして改めてウィキペディアを確認(参照)。
「該当するのは2009年、2015年、2026年…」
「2015年の次は2026年までこの大型連休は出現しない見込みである。」
なぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃ??
ということは、私の「シルバーウィーク」デビューは最速で9年後。
年中行事として私が「シルバーウィーク」という呼び名に慣れて、数年後には恥ずかしがらずに使えるようになる、という夢は破れた。
シルバーウィークが毎年やってくるのは私の頭の中の日本でだけで、正解は「そんな国は世界のどこにもない」。
そして「2009年以来、2度目のシルバーウィークがやっと巡ってきた」でした。
ちなみに昨日、2009年に自分が書いた記事(参照)を読み、22日が挟まって「国民の休日」になっているという内容から「6年経って、今年はそのときと同じ曜日になっていることに気づき、ちょっとした感動を覚え」たというのも、この“シルバーウィーク毎年説”に基づく勘違いだったのである。
「たまたま気に留めてブログに書いた2つの年のカレンダーが同じ並びだなんて。ぐうぜーん」と思ったんだよね。
「ぐうぜーん」…じゃねぇよっ。
さらに。
「2009年に初めて発生した、9月の大型連休。」
えぇぇぇぇ。
そうだったのか。
それで当時は知ってる人が少なかったのか。
これ、たぶん2009年の時点では気づいてなかったよね。
「敬老とシルバーは関係なし」「もともとは1950-60年代のアイディア」などと書いてるから、検索結果を踏まえているのは明らかなのだが、当時は引用元を今ほどマメに記していなかったから何を読んでいたのかがわからない。
「シルバーウィーク」に関するウィキペディアの情報はこの6年でうんと厚みを増しているだろうけど、「2009年が初めて」は当時も載ってたんじゃないのかなぁ。
いずれにしても、正解は「シルバーウィークという名前は第1回の時点ではあまり知られておらず、その後の“空白期間”にも普及することはなかったが、第2回の直前あたりで広く一般に知られるようになった」ですかね。
もう、間違いだらけじゃん。
とほほ。
さらにさらに。
「2004年5月5日放送のフジテレビ系列『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』では、「2009年は秋にもゴールデンウィークがある」とのトリビアが紹介されていた。」
あぁぁ。
“トリビア感”の正体はこれか。
覚えてないけど、私はこの放送を見ていたんだろう。
それにしても。
やられたね。
自分に関係がなく、入ってもこない情報を気に留めるのは難しい。
量的に言えば情報はいくらでも即座に手に入るから、つい放っておいても、どんな情報も入ってきているという錯覚に陥る。
しかし実際は「大型連休だ!」はよく届くけど、「連休じゃない」は届かない。
こうして、“当たり前”な情報ほど抜け落ちやすくなる。
このへんも、インターネット時代のウラシマの特徴だろう。
みんなが知らないことは知ってるくせに、誰でも知ってるようなことを知らない、というのは研究者にありがちな傾向でもあるしね。
その意味で、インターネットの世界と私には「“極端”や“詳細”に敏感で、“普通”や“当たり前”を取りこぼしやすい」という共通点がある。
実際、私が“普通”を補おうと思ってもインターネットは役に立たない。
今回のことはその良い例だ。
“普通”については周りの人に教えてもらうしかない。
私が取りこぼしているタイプの情報は、周りの人に「こんな当たり前のこと、言わなくても知ってるだろう」と見なされやすいので、自ら気づき、聞きに行き、「えぇ、知らなかったんですか」と驚かれるまで問題が発覚しないままになりやすい。
そして、ここに私のマイナス思考が追い討ちをかける。
「あるけど届かない」と「存在しない」の区別は難しく、世の中には「自分が知らない=存在しない」というタイプの人もいるが、私の場合、そう考えることがない。
「私には聞こえてこないけど、あっちは連休なんだろう」と思っていた。
私にはそういう癖がある。
研究にしろ、事業にしろ、すべての始まりはいつも「私が知らないだけで、きっとどこかで誰かがやってるだろう」なのだ。
かくて諸々の偶然が不幸な重なり方をして、私に6年越しの壮大な勘違いをもたらしていたのだ。
発覚してよかった。