苦手について

「苦手」を行動の動機にするってのは、そんなに珍しいことなのかねぇ。

わかってるだろうけど、いまさらだけど、いちおう、念のため言っておくと、好きでやってんじゃないよ、というようなことを告白して、「えぇ?」と驚かれたり、「またまたぁ」と冗談の類に受け取られたりすることがいまだにある。

というか、減らない。
むしろ増えてるぐらい。

たとえばソーシャルやネットワーキング的なこと。
パーティーとかSNS とか、グループとかご近所づきあいとか。
できれば避けて通りたい。
ナシでお願いしたい。
でも、そういうわけにはいかなそうだし、時には長いものに巻かれたり、流れに身を任せたりして、独りよがりになりがちな自分のバランスを整えることは大事。
だから上げられる程度の腰の重さ、ごまかせる程度の気の重さだったら、「いいから行ってこい」と自分を突き飛ばしてなんとか参加させる、という感じ。
それでも、どうしても行きたくなかったらあっさり棄権して、「そこまでして行くようなもんじゃないよね」と自分を慰める。
断るのは苦手じゃないから、すぐできる。
でもそれが癖にならないように、また折を見て突き飛ばす。

苦手だから、あえてやる。
好きだったら、別にやんなくてもいいもんねぇ。
克服はしないまでも、放置して悪化するのはまずいからね。
教育的指導。

英語や留学やアメリカもそう。
研究や事業やイベントも、企画や運営、リーダー役も、そう。
何度も「しぶしぶ」だって言ってんじゃん。
しぶしぶ始めて、しぶしぶ続けている。

ごまかしたり嫌がったりしながら、やる。
やるけど、だからって、好きになったりはしない。
苦手は苦手のまま。
「最初は嫌いだったけど、だんだん好きになる」って人も世の中にはいるようだけど、私は第一印象や直感に変更が加わりにくいタイプ。
好きなものは最初から好きだし、苦手なものはどう転んでもずっと苦手。

苦手だからこそ続く、というのは言いすぎだけど、ま、そういうところもなくはないかな。
基本的にそのへんは関係がない。
私の行動に、私の感情はほとんど関わっていないのだ。
「好き嫌い」と「やるやらない」は別の話。

しかし、それを見た人々の反応は、「好きじゃなきゃできないですよね」「やっぱりお好きなんでしょう」「本当は好きなくせに」。

ま、じゃ、それで。
もう、「好き」ってことでいいっす。
誤解は自由だしね。

こんなに大勢が口をそろえて言うんだから、そうなのかもね。
違うと思うけどね。
「好き」を元手にして行動を起こす人、あるいは「好き」以外の元手では動けない人が多いということなのかな。
自分はそうでも、他の人は違うかも、って思わないのかな。
「やるからには好きでいてほしい」という希望とか「好きでもなければやってはならぬ」という禁止とかがあるのかな。

このあたりの「好き」は「自信がある」と同じだね。
なくても別に支障はないと思うけど、「持っててくれないと困る」という人が多いのかな。
不思議。

ま、どーでもいいやね。

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