ビール用語に始まって、また日本人と英語のことを考える。
ある用語について聞きたいことがあり、日本人でビールに詳しい人たちに質問してみた。
TEDの字幕翻訳の作業中、ビールのブラインドテイスティングという文脈で評価基準として出てきた単語。
「『XXX』や『苦味』で評価をしたとしましょう」という文から、「苦味」と並ぶような訳語にしたいのだが、見つからない。
翻訳を担当した人たちが日本のビール会社のサイトなどからいくつか候補を挙げてくれたが結論は出ず、最終承認をする私も一緒になって情報を探すことになった。
英語のサイトを見れば、当然ながらよく使われている。
ビールをテイスティングする際の採点票にもその項目があるし、図解や例をつけて説明しているものもすぐに見つかった。
が、それに対応する日本語が見つからないのだ。
アメリカでビールを飲んでいそうな日本人に聞いてみても「味とか香りの表現としてよく使うけど、それを日本語でなんていうかはわからない」。
あいにく私の周りにはビールの専門家がいないので、用語集などを載せているサイトをいくつかピックアップして問い合わせてみた。
みなさん反応が速く、親切にお返事してくださった。
ただ、全体的に「わかりません」。
「この店、日本語ができるアメリカ人がよく飲みに来るから聞きにいってみたら?」というのもあった。
ま、それでもこの単語が日本人のビール専門家・愛好家に知られていないということがわかったのは収穫。
そんな中、『兎に角麦酒』(参照)というサイトの方が、周辺にも協力を依頼して情報を集め、有力な情報を送ってくださった。
結局、日本語でそれに相当する用語はなさそうなのだが、字幕に適切な表現にたどりつくヒントを得ることができた。
というわけで一件落着。
それはいいんだけど。
思いがけずまた、日本人と英語について、考えさせられた。
今回の私の依頼は、「英語の世界にはこういう表現がありますが、同じ表現が日本語にもありますか?」だった。
答えは「あります」か「ありません」で、あるならその表現を教えてほしい、ということだった。
ところが寄せられた回答の多くは、私が資料として送った英語サイトから彼らが読み取った情報。
つまり、「英語の世界のその表現の意味はこうだと思います」というもの。
それで、「英語は苦手でして…」だったり、「これじゃないですかね?」と別の英語の表現を教えてくれたり。
あるいは「英語の世界に、そんな表現はありません」というのもあった。
イヤイヤイヤ。
英語の世界にその表現があることは明白です。
その表現の意味は、もう知っています。
もし意味を知りたいんだったら、身近なアメリカ人など、私よりも英語が得意な人に尋ねます。
日本人のあなたに尋ねている理由は、あなたが日本語話者で、この分野の専門家だからです。
あなたは英語のサイトなんて読まなくてもいいんです。
私が日本語で書いた説明から、専門家の知識と照らし合わせ、日本語の用語の中で検索をかけて、「ある」か「ない」か教えてほしいんです。
…ということが、驚くほど伝わらないのだということがわかった。
えーとね。
特に今回の件に関して、私は問い合わせ先のみなさんの英語力には初めから期待していない。
年齢や性別を含むだいたいのdemographics からして英語が得意な層ではない。
まして、「コク」とか「キレ」とか「~感」とか、感覚的な表現をよくわからないまま使える分野の人たちだもん。
それを考慮して質問したつもりだったのだが、裏目に出たのか、私の力不足だったのか。
そして最終的に有力な情報をくれた人は、その文章の書き方から察するに、英語が読めているんだと思う。
英語がある程度できないと、日本語の質問に答えられない、という、ギャグみたいな、皮肉みたいな、なんともいえない不思議な現象が起きるのかもしれない。
これ、別にいまに始まった話じゃない。
英語に慣れていない人が「ひゃぁあぁぁ、英語だ」とパニック状態になってしまうと、その後はもう何を言っても聞いてもらえない。
「ごめんなさい、お許しください、帰ってください」となる。
あるいはちょっぴりできるぐらいの人には「おのれ、覚悟せよ」と戦いを挑まれる。
悪霊や黒船じゃないんだから。
画的には時代劇だけど、2015年、グローバルで国際的な先進国の話。
いくらなんでも、それはないでしょと思うけど、どうなんだろう。
日本人の多くは英語が必要ないし、おそらく当分はできるようにもならないだろうけど、英語や外国人がらみの何かが日常に舞い込んできたときに慌てふためかない程度にはしといた方がいいと思う。
ただ、「その程度には」と言いつつ、実はこれ、目標としてものすごく高いのかもしれないな、とも思う。
英語や外国人を前にしたとき、パニクったり、やけに挑戦的になったり、目がハートになったりしない層の英語力は、おそらく相当高いだろうから。
この点に限って言えば、日本の若者たちには希望がある。
彼らは上の世代の日本人に比べると、英語や外国人に対して慌てふためかなくなってきている。
もちろん、慌てふためかないからといって、自動的に英語力が高くなるわけではないけど、たとえば「みんなが普通に英語を使ってる」という環境をつくるための土壌が徐々にできあがってきているかもしれないと思えないこともない、かな。