Misunderstanding Japan

BBC ラジオの”Misunderstanding Japan”(参照)を聞いた。

メディアリテラシー、近代史、政治、戦争、Racism、ジェンダー、ステレオタイプ、J-pop などいろんな切り口で議論ができそうなネタの詰まった番組だった。

これを聞きながら思い出していたのは、日本へはじめてやってきたアメリカ人と一緒に新幹線に乗ったときのこと。
彼らはアメリカで日本語を学び、日本文化に興味をもち、アメリカに留学中の日本人たちとすでに交流があったから、自分たちをかなり日本通と認識していたと思う。
新幹線に乗ることは彼らの日本滞在中にぜひやりたいことの1つだった。

ホームに新幹線が入ってきたときの興奮。
車内の明るさときれいさに感動。
そして着席し、きょろきょろ何かを探し始めた。
どうかした?と声をかけると「シートベルトがない」と言う。
「うん、ないよ?」と答えると、彼らは途端に緊張しはじめた。

出発し、しばらくして、彼らの緊張はようやくほどけたが、同時にかなりガッカリした様子だった。
「新幹線はジェットコースターより速いと聞いていた」。
うん、まぁね。
こういう、たくましいというべきか、乏しいというべきか、判断しかねる独特の想像力を、ひょっとしたらあまり身近でない外国の言語や文化を学ぶ人は持ちやすいのかもしれない。
私自身にはそういう経験がないので共感はできないが、日本人英語学習者は欧米に対する強いあこがれが学習の動機になっていることが多いから、彼らの頭の中にある英語の世界では、新幹線がジェットコースターになっちゃうくらいのすごいことが起きているのかもしれない。
来る“オモテナシ祭り”に関連して、事前にも事後にも、また別のタイプの独特な想像や強烈な“経験談”、雑な一般化も生まれてきそうだしね。
どうなることやら。

言語だけなら、どこにいても学べる。
情報だけなら、どこにいても手に入る。
“ネイティブ”と呼ばれる人に出会う機会もある。
でもそれだけではわからないことがたくさんある。
メディアは手を変え品を変え、その技にますます磨きをかけて腕を上げてくる。
踊らされても、楽しければいいのか、やっぱり踊らされない方がいいのか。
どうだろね。

ある面で、いくらか世界が小さくなっても、そのぶん、またはそれ以上に、人は現実を遠ざけるようなことをわざわざするから、差し引きしたら「結局やっぱり大きいね」ってことになる、とそういうふうにできてるのかな。
不思議。

“The proof of the pudding is in the eating.”

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