寄せ書き

寄せ書きについて。

引越が近い日本人の友人が、そうとは知らずに参加した場で送別会を開かれ、他の日本人から寄せ書きをもらった。

そもそも寄せ書きに寄せている人たちというのはさほど親しくない人であることが多い。
実際、今回友人のために寄せた人の中には、数年ぶり、2度目に会うような人も含まれていたらしい。
“クウキ”とやらを大事にするタイプだと、「参加しない」という選択肢を持ちにくいのだろう。
媒体のスペース的な事情もあるだろうし。

で、そういうよく知らない人が、なんとなく、良い印象っぽいことを書こうとしている様子がおもしろかったらしい。
もちろん、書かれた内容に本人が賛成できるところは少ないし、「こう書くしかなかったんだろうなぁ」と苦しさが伝わってくるものもあったようだが、ざっくり、「自分の見られ方」のようなものがわかってよかったと言う。

万能な形容詞としては「いつも元気な」「笑顔が素敵な」あたりかな。
努力や実績に応じて「がんばりやさんの」「何でもできる」「才能あふれる」とか。
性格に関しては「社交的な」「明るい」「人気者の」など。
「夢を追う」「目標をもつ」「尊敬する」なども頻出。

ま、ね。
いずれにしても本人には「え、全然ちがうよ」と反応されるリスクあり。
でも、そのへんは考慮されない。
言ったもん勝ちみたいなとこあるしね。
反論するほどのことじゃないしね。
もう会うことがない可能性が高い人たちだしね。
逆にそんな場で、浅いおつきあいの人たちにギクリとするほど鋭く言い当てられてもイヤだしね。
当たり障りなく、表面的に、社交辞令ぐらいがちょうどいいんでしょう。

それを友人は苦笑しつつ受け入れ、さらに「何はともあれ、部分的にでもそういうふうに見せることができていたなら、自分はうまくやっていたんだなと確認できた」と言っていた。
おっとなーぁ。

まぁ、もらってうれしい人が、他の人にも喜んでほしくて贈るから、寄せ書きの伝統が今日まで守られてきてるんだろうね。
褒められたがりの人と寄せ書きは相性がいいのかな。

考えてみると寄せ書きというのは、公共の場である。
寄せるプロセスで他の“寄せ仲間”に読まれるわけだし、もらった人が、たとえば壁にでも貼ったら、その後は不特定多数の人の目に触れることになる。
SNSなどで、誰か一人に向けたメッセージをあえてパブリックに発表するのを好むような人も、寄せ書きと相性がよさそう。

私は、うーん。
寄せる場合は、なるべくお断りするとして。
寄せられるのも、うーん。
やっぱり、もらって困るものは、ねぇ。
エコとか節約とかにこじつけて、なるべく“クウキ”を悪くしないで、やんわりめに、しかししっかりと先手を打って、なんとか回避する方向でご協力願えるとありがたいなぁ。

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