配送

日本の配送が必死すぎて怖い。

私はアメリカに住んでいるけど、普通に日本のネットショッピングを利用している。
日本に住む家族や友人にギフトを贈ることもあるし、実家で必要になった家電や本などは、私がリクエストを受けて調べ、購入し、届けてもらうという遠隔操作をしている。
注文者である私には相手に届くまで責任があるので、追跡サービスを利用して「お届け済み」になるのを見届ける。

もともと日本の配送はアメリカに比べるとうんと速く、初めてアメリカに住んだ2001年には「アメリカの配送は遅すぎる!」とか言って多少イラついていたような気もする。
とはいえ、何しろでっかい国だし、のんびりな人たちだし、物流の量が日本とは比べものにならないし、郷に入れば郷に従えなので、文句を言うのはやめた。
おかげで注文や応募を早めに済ませておく習慣がついた。

そのアメリカでも、近頃はお届けが速くなり、途中のどっかで止まったり、問い合わせても埒が開かなかったり、破損したり紛失したりすることがかなり減ったので、配送の技術は確実に進歩しているのだろうと思う。
どこかの研究者や技術者の知恵が現場に生かされ、私たちは日々その恩恵に与っているのだろう。
ありがたい。
個人的な感覚として、現在のアメリカの配送なら、2001年当時の日本のレベルに近いんじゃないかな。

一方、日本の配送の高速化は進歩を超えて、もう、気味が悪い。
そりゃまぁ、ありがたいっちゃあありがたいけど、まずは引いてしまう。

たとえば、アメリカから日本へ小包を送ると、日本へ入った途端に処理速度がぎゅんと上がる。
サービスを提供する側と受ける側の力関係が180°変わったな、と感じる。

日本国内での配送では、注文してから発送までの処理がやたら速い。
それも自動応答やロボットではなく、生身の人間が対応しているのがわかるから怖い。
無料配送で、「じゃあ速達って何?」ってぐらいの速さでお届けが完了する。
小さな会社の従業員が以前にも増して、せかせか、ピリピリしている様子が透けて見える。
そのうえ、ねっとりするほど謙って丁寧にされると、もう痛々しくて申し訳なくて、ありがたさが飛んでしまう。

アマゾンのような巨大企業の高速化(参照)に生身の人間が追いつこうとしてるのかしら。
“爆撃機に竹やり”じゃあるまいし。
そして丁寧さで上回ろうとしてるのかしら。
そうやって身も心もすり減らして客に尽くすことが美徳であり、機械に勝るサービスだと思ってるのかしら。

あるいは顧客”満足”というより、うるさい客に文句を言われないように、クレームによって他に客を奪われないように、つまりは売り上げが落ちないように、戦々恐々、ビクビクしているようにも見える。
これもまた、ありがたさが飛んでしまう。

そして、この速度と丁寧さ、店側の謙りと、最高級の“オモテナシ”に甘やかされて、それに慣れ、感覚がマヒして、ますます客が悪くなる。
気の短さ、慇懃無礼な態度、“お目が高い”アピール、不寛容、正当化、開き直りが促進され、つけあがり、クレーマーやモンスターの類が増殖する。

で、サービス提供側が疲弊する。
“神様”である客の仕打ちによって、個人なら退職や失業、企業なら赤字や倒産に追い込まれる。
いじめと同じじゃん。
それによってサービスがなくなったら、困るのはサービスを受けていた“神様”側なのに。

そりゃ、命に関わるほどの大事なものを本当に超高速で届けなければならない場合には、その高度な配送技術を存分に使ってくれればいいけど、どーぉっでもいいことにまで最高速度を出すことはないじゃん。
オーバースペックでしょ。

技術を高め、サービスを向上するのは結構なこと。
でも、それを安売りしちゃダメだよ。
いざとなったらできることを、「いざ」でもなんでもない日常に、特別料金も払っていない一般客にまで与えてしまったら、そりゃおかしなことになるでしょうよ。

大事なものとそうでないものを区別するのが下手なのかなぁ。
“平等”とか“公平”を履き違えて、何でもすぐに均してしまう。
目の前の“神様”は得して喜ぶかもしれないけど、それによって全体がゆがんでしまったら、意味ないじゃん。

卵が先かニワトリが先か。
店側が急いている感じを出すから、客の気が短くなる。
気の短い客が急かすから、店側が急ぐ。
無理をしてでも、損をしてでも、客の要望に応える。
そんなの、どこかで行き詰まるに決まってる。

どんなに急かされても、脅されても、できないことは「できません」でいいじゃないの。
もっと堂々と構えて、「そういうもんです」ときっぱり言い放ち、多少気まずくても、待たせておけばいいじゃないの。
それ以上を希望する人からはきっちり御代を取ればいい。
そうやって悪い客が減り、良い客が増えれば、みんなハッピーになるじゃん。

サービス提供者には、たとえば社員など身内を守るつもりも、客と、人としてまともな付き合いをするつもりもないのだろう。
プロとしてのプライドもないのだろう。
それでつい、後先を考えずにその場しのぎの対応に手を染め、だんだん歯止めが利かなくなってエスカレートし、悪い客が幅を利かせ、良い客が割を食う仕組みを作ってしまう。
そしていつの間にか、全力を尽くしても誰も満足しない結果に。
店と客、学校と生徒、国と国民。
おんなじように見えるよ。

どうしてそんなに窮屈で暮らしにくく、ストレス満載の社会にしようとしてるんだろう。
せっかくいい感じの国なのに。
自分で自分の首を絞めて、どうするつもりなんだろう。
不思議。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。