「有(り)難う御座います」について。
私の周りで、メールやメッセージに「有難う」「有り難う」という表記を使う人が増えてきている。
最初のころは、いわゆる帰国子女や10代のうちに海外へ出てしまった人たち、そして日本語学習者に多い傾向だなと思っていた。
彼らは日本の社会で使われる、こなれた表現に接する機会が少ない。
また、ひょっとしたら漢字に対して、文字情報というよりデザインとして見ていて、「夜露死苦」「愛羅武勇」的なカッコよさを感じているのかもしれないと思っていた。
しかし最近はこうした人たちに限らず、ずっと日本にいる日本語ネイティブで、そこそこ年齢を重ねた人たちの間にも「有難う御座います」が増えてきた。
「有難う」=「日本語経験が浅い」という簡単なくくり方はできなくなってきたのだ。
ま、あえてくくるとすれば言葉に対する感度が高くない人かな。
誤字脱字と相関関係がありそう。
年齢が高めの人では、漢字変換歴が浅い人でもあるかな。
あえて漢字を選択しているような人は「ひらがなで書くと教養がないように見える」とか、「とりあえず漢字にしておけば間違いない」と思っているフシがある。
ひらがなにするか漢字にするかを「正誤」で語る人もいるが、そういうことじゃないんだろうと思う。
たとえば日本語学習者は「ありがとうございます」と書いてからわざわざ漢字に“訂正”することがあるが、日本語母語話者は、おそらくそこまではしないだろう。
つまり、「ありがとうございます」と「有難う御座います」は同等に“正しい”と知ってはいるが、その上で、好みで、あえて漢字を使う人がいるのだろう。
ただ、実際のところ「有難う」使用者に多いのは表記に無頓着な人たちだと思う。
特に選択したつもりもなく、無意識に漢字を使っている人たち。
そのため、たとえば1つのメッセージ内で「ありがとう」と「有難う」と「有り難う」が混在しているなど、表記に一貫性がなかったりもするのだが、全部ひっくるめて、彼らは気にしていない様子。
変換の都合で意図せず漢字になってしまったとしても、なんの違和感もなく受け入れることができ、それが自分の書いたものとして他者の目に触れることになっても特にイヤだと思わないのだ。
私は「ありがとう」が変換によって漢字になった場合にはもれなくひらがなに直す。
「有難う」を自分の手で書くなんて、自分の発言として使うなんて、気持ち悪くて耐えられない。
ひらがなを訂正してまでも漢字で書く“漢字派”と、漢字を訂正してまでもひらがなで書く“ひらがな派”の間に、どっちでも平気な“なんとなく派”がいて、かつては“なんとなく派”がなんとなくひらがなに傾いていたのが、徐々になんとなく漢字に傾きつつある、ということなのかなと思う。
現在のところはかろうじて“ひらがな派”に分があるようで、「漢字で書いている人は気をつけた方がいいよ」的な呼びかけが、若手の社会人向け(参照1 参照2)やライター向け(参照1 参照2)に出ている。
ちなみにこのツイッターの記事は字幕翻訳チームでも紹介されていたが、その紹介文には「読みやすい事もあります」、付いたコメントには「文字数の制限が有る場合に、漢字化するという方法は良く使います」という具合だった。
「ひらがなの方がいいかもよ」って話をしてるんだよね?
その無意識な漢字の使い方の話をしてるんだよね?
…と思ったけど、ツッコミもせず、スルー。
“なんとなく派”は増え始めると一挙に多数派になるものだし、日本語は押しに弱く、わりとすぐに変化してしまう言語なので、漢字表記は今後ますます勢いをつけて、やがては主流になり、“ひらがな派”は追いやられてしまうのかもしれない。
ま、私は少数になろうと、古いと思われようと、教養がなさそうだろうと、一向に構わないんで、ひらがなで行きますよ。
自ら気持ち悪い言葉を使うことはできません。
「『有難う』は必ず漢字で書くこと」という法律ができたら、他の表現でやりくりするか、お礼を一切言わない無礼な人間に変わることにします。
「今日は」「左様なら」「御目出度う」なども漢字になるなら、もう誰にも挨拶しないことにします。
そして日本で英語教育をやるということは、この“なんとなく派”を相手に、さほど身近でもない外国語を使わせるということなのだと気づく。
一覧表の丸暗記は、応急処置という意味で、ないよりはマシかもしれないけど、根本的な言語的センスや感性を養うのには向いてない。
さらにヒナが餌を求めるように、“正解”を求めて口を開くようなクセがついた学習者もいる。
日本にある“英語”はガラパゴス化していて、世界的に見れば特殊なものだから、うっかり口に入れられないようにしてもらいたいと思うけど、彼らにとってはそれが“多数派”で“標準”で“正解”なのだろうから、疑うどころか、むしろ入れそこなわないように、外れないように、気をつけているのかもしれない。
日本の国語教育と英語教育はあんまり仲が良くないようなことを聞くけど、もっと協力して一緒に考えていかなきゃいけないことがたくさんあるような気がするね。
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共感していただけてうれしいです。鈍感であることが好まれる傾向もありますし、気にならなくなったらラクなんでしょうね。解決策がないのに無視もできず、ただ個人的に気持ち悪いだけというのは不毛な気もします。が、しょうがないです。笑 時代の趨勢を横目に、それはそれとして、自分の感度はなるべく高く保っていきたいと思っています。