どう転んでも確実にかなりどうでもいいこと。
ある人と約1年ぶり+2回目に会ったときのこと。
最初に会ったとき、私が年齢を隠した、という話になった。
「『すごいトシだから言えない』と言って教えてくれなかった」…らしい。
「そんなことはないと思いますよ」と軽く返してみたが、「いや、確かにそう言った」と強くおっしゃるので、「じゃ、それで」という感じにしておいた。
私は“誤解自由主義”で、他人の誤解を矯正するようなことはせず、放置している。
私も自由に誤解するしね。
だから言ったとか言わないとか、それ自体はどうでもいいんだけど、そういえば確かに私は初対面の人と年齢の話をしない傾向がある。
ふむ。なんでかな。
で、理由を考えてみた。
ざっくり、以下の3つぐらいだろうと思う。
まず1つめは、私が年齢にまったく興味がないから。
普段、数字となるべく関わらない生活をしているので、値段や時間などと並んで、年齢について考えることが日常の中にほとんどない。
特に今のような環境では年齢に対して意識をする機会もないので、忘れているといっても過言でないぐらいの状態。
興味も思い入れもないので、取り立てて自慢げに言いたい年齢もないし、隠さなきゃならないほど嫌な年齢もない。
実にどうでもいい。
どうでもいい話題というのは意外と相手を選ぶ。
たとえば親しい友人と夜な夜なしゃべり倒して、いったん遠のいた眠気が戻ってきたぐらいの明け方なら、どうでもいい話がちょうどいい。
でも初対面の人を相手にどうでもいい話をするのは私には難しい。
2つめは、年齢を軸に話を展開する人が苦手だから。
最初に年齢を知りたがる人は、その後の関係性や話の内容を「年齢」というキーワードだけで単純化する傾向があり、私はそれをとてもつまらないと思っている。
アマチュア心理学の影響なのか、自分の周りの人々をカテゴリー分けして安心したがる人がいる。
彼らにしてみれば初対面とデータ収集は切っても切れない。
年齢の他、血液型や誕生日、出身地や出身校、家族構成、婚姻や職業に関するステータス、好き嫌いなどについて“取材”をしてからでないと、人間関係が築けないのかもしれない。
あいにく私はステレオタイプに当てはめられるのを好まないので、“取材拒否”をして、材料を与えないことがある。
ある程度の時間をかけてお互いを知り合い、その交流の中で自然に交換するのなら、属性に関する情報によっておもしろみが増すこともあるが、最初から枠組みをつくる良さが私にはわからない。
それで気づいたが、私は異端でいることにも変わり者扱いされることにも慣れていて平気だけど、逆に多数に入れられそうになると抵抗を感じるようだ。
勝手に統計処理すんじゃねーよ、と。
それを防ぐためにデータ提供を拒否するというわけか。
なるほど。
そこまで考えて、勝ち目がないことに気づく。
今回出会った人の記憶の中で、私は「すごいトシだから言えない」と言ったことになっている。
これは“年齢の話をしない理由ランキング”で上位のものだろう。
つまり、どんなに私が統計処理を嫌って“取材拒否”をしたところで、拒否の理由は勝手に統計処理され、よくある回答をあてがわれ、最終的にはそれが私の答えとして誰かの記憶に残り、“紛れもない真実”と化してしまうというわけだ。
言っても言わなくても、分類からは逃れられない。
じゃ、しょうがない。
お好きにどうぞ。
理由の3つめは、「見えなーい」系のリアクションが面倒くさいから。
これはどうでもいい中でも際立ってどうでもいい。
ま、結局のところこれは相手の安心や納得や満足の問題で、私のことっぽく見えるけど、実は私には関係がなく、たとえ私が不本意と感じても、どうしようもないんだろうね。
じゃ、しょうがない。
どうでもいい。
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似てますか。それは光栄です。やはり分類から逃れることはできないってことなんでしょうね。笑
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