“Hi”というスタンプ/ステッカーの不思議。
“Hi”といえば、人に会ったときやメールなどの書き出しに使う挨拶。
日本語訳は難しいけど、まぁざっくり「こんちは」ぐらいの感じ。
…ってな説明は要らないだろうと思う。
イマドキの日本人で、”Hi”の意味や使い方を知らない人はほとんどいないだろう。
ところがこれがスタンプ/ステッカーで使われると、ちょっと不思議なことが起きる。
私がはじめて“不思議”に出くわしたのは、Facebook で日程調整の相談をしていたときのこと。
お互いの予定がなかなか合わず、「この日は?」「うーん厳しい」というようなやり取りをして、結局その場では決まらず、候補を挙げるまでに留め、私が「ではまた調整してお知らせします」と言ったところ、相手から、「動物が片手をあげて”Hi”」のステッカーが届いた。
きょとん。
ここまでさんざんやり取りしていたのに、そしてもう会話を終えようという段階に来たのに、なぜ今さら、オープニングに使う挨拶??
という数秒間の戸惑いの後、ようやく「あぁぁぁ、日本語の『はい=了解』のことか!」と気づいた。
「元気よく手を挙げる」という動作も、日本文化においては挨拶ではなく返事を連想させる。
なるほど。
以来、この“不思議”はときどき発生する。
待ち合わせの時間と場所を相談して、それが決まって、「じゃあ気をつけてきてね」と言ったあとの返事に、動物が片手をあげて”Hi”。
近況を聞いて、ちょっと心配になって「まぁ気持ちはわかるけど、無理は禁物だよ」の返事に、動物が片手をあげて”Hi~”。
この用法はあちこちで使われていて、ひょっとしたら何の違和感もなく、普通に受け入れられているのかも。
私の周りにはスタンプ/ステッカーを多用する人が少ないので、頻度としては忘れたころに現れる程度だが、一度意味がわかれば、もうきょとんとはしない。
ただ、これはどういうことなんだろう。
なぜこの「片手をあげて”Hi”」を「了解」の意味で使う人がちょいちょいいるんだろう。
流行ってるのか?
ダジャレなのか?
「39」→「サンキュー」→「Thank you」みたいなこと?
そして、”Hi”を見たらどうしても咄嗟に”Hi”と読んでしまう、こちらの事情も、もしよかったら想像してね、と思う。
ごく短い時間のうちに「”Hi”?あ、いや、これは”Hi”じゃなくて日本語の『はい』だ。この返事とイラストはオープニングの挨拶じゃなく、むしろクロージングの合図だ」というプロセスを踏んで、やや気持ちの悪い思いを経て、やっと会話を終了するに至る。
これを使う人たちは、決して”Hi”というのが日本語の「こんちは」に相当する英語の挨拶だということを知らないわけではない。
ただ、日常的に英語を使う人たちでもない。
「クロージングに”Hi”」というのは、日常的に英語を使う人にはできない発想だろう。
私にとっては、ただでさえ苦手なスタンプ/ステッカーと“不思議”な言葉づかいの組み合わせなので、個人的に好きになることはなさそうだが、現象としてはおもしろいと思う。
英語がさっぱりわからず、完全に“見えない”(参照)なら、この場面で”Hi”ばかりを選んで発信することはない。
“Sorry”とか”Why?”とか、もっと的外れのものを含め、Tシャツや看板によくあるデザイン扱いの文字列と同じように、文脈と無関係のいろんな表現がランダムに飛び出すはず。
「クロージングに”Hi”」の的外れっぷりはかなり微妙で、少なくとも”Hi”という英語は文字列として認識されていて、読めていて、発音も知っている。
英語を使う場面でなら、意味も使い方も間違いなく使える。
見えていて、わかってもいるのだ。
ただ、それを日本語の「はい」にあてがっても平気な程度には見えていなくて、わかってもいない。
うーん。絶妙。