災難

油断も隙もない。

言語コーチ仲間から相談を受け、私にわかることを伝える。
彼はイタリア人で、英語を含むいくつかの言語ができるが、なかでも日本語に対する情熱をもっており、日本語のコーチをしている。
書を嗜み、敬語も漢字もばっちり。
日本のニュースやトレンドなんかは私よりもよく知っている。

ひととおり相談が終わったところで、統計の話に。
ウェブサイトの訪問者が若年層ばかりなので、コーチングの受講者とマッチしていない可能性があるという。
私はマーケティングをやらないのでそのあたりについては助言のしようもないが、思い当たる節はある。
アメリカに来て以来ここ10年で出会った日本語学習者といえば、大学で授業をとる20歳前後の学生ばかり。
お金を出してコーチをつける学習者ではない。
「じゃあ大人で日本語を学びたい人に会ったら紹介するね」と言いつつ、なかなか難しいだろうなぁと思っていた。

そしたら、わずか2日後にそんな人に出会った。
いくつかのビジネスを持つアメリカ人男性で、日本人の奥様との会話を含む日常生活も仕事もすべて英語だが、個人的に日本語を長年学んでいるらしい。

これも何かの縁。
翌日、彼に日本語コーチングに興味がないか尋ねるためメッセージを送った。
いちおう背景として、私が研究とは別にコーチングをやっていて、この日本語コーチとは国際コーチ連盟の認定つながりで知り合った…というような説明をする。
ついては仲間として応援したいので、もしよかったら一度、無料セッションを受けてみませんか、と。

間もなく返信が。
「ご提案ありがとう。ただ僕は正直なところ、日本で生まれ育ったtrue native speaker からしか習わない。言語だけじゃなく、深い文化理解を学ぶわけだから、それはネイティブじゃないと無理だよ」
「イタリア語を習うことになったらお願いするね」

あぁぁぁぁ。
こんなところで、まさか”Native speaker fallacy” (Phillipson, 1992) に遭遇するとは。
それも、なにこの多重に間接的な感じ。
悪気がないって恐ろしい。

「私は何をやってんだ」という思いや、コーチングに対する無理解を目の当たりにした失望感や、「”true native speaker”っていったい誰だよ」というツッコミや、その他なんだかわからないモヤモヤにうっすら凹みながら、”Thank you for your honest opinion” 的な返事を出す。
日本語教育においてヨソモノの私には、この異文化なやり取りはキツイわ。
ぐったり。

英語教育の文脈でなら慣れてるけど、そうかぁ、日本語も同じかぁ。
いや、日本語の方がよりそうなのかもね。

はー、びっくりした。
油断も隙もない。

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