人それぞれのピークというか、自己ベストの年頃のこと。
幸せや成功など、良いことがあったら「これがずっと続いたらいいな」「もう失くしたくない」「時よ止まれ」と思うのは、人情というか、まぁ割とよくあることだろうと思う。
たとえば子ども時代に優等生で学校の成績が良く、親や先生などの大人たちに褒められ、同級生たちに一目置かれていた人は、その頃の快感を忘れることはできないだろう。
若者時代におしゃれでカッコよく、あるいは美人でモテモテだった人は、その頃。
中年時代にバリバリ働いて、自分が会社や国や世界をグイグイ動かしていた感覚を持っている人は、その頃。
昇進した、結婚した、受賞した、両思いになったなど、より短期間の“時代”に自己ベストを出した人もいるだろう。
英語教育で言うなら、留学時代、英語ペラペラで、外国人たちと対等にやりあっていた頃、とかね。
良い思い出はないよりある方がずっといい。
良い思い出は大事にしたらいい。
でも思い出を持ち続けることと、その絶頂期に縛られていることはまったく別のこと。
自分が年齢を重ねたことを棚に上げて、各々の絶頂期のやり方をいつまでも頑なに押し通したり、絶頂期の好評が不評に転じるという事実を拒んだり、かつて手にしていた称賛や人気が減ったことを周りや社会のせいにしたり。
自分がいちばん輝いていた(と自分で思っている)時代に立ち止まったまま、動かないようにする。
世間も世界も他人の気持ちも、全部ひっくるめて、自分と一緒にいつまでも同じところに留まっていてほしいと願う。
そうしたい気持ちはわかるし、ま、それはそれで別にいいんだけど、それをやっちゃうと、どうしても周りが見えにくくなり、他人の気持ちに鈍感になり、意固地になって、あんまり良いことは起きないんじゃないかしらねぇ。
「若作り」や「過去の栄光」、「自慢話」に対して人々が良い気分にならないのには、ちゃんとわけがあるのだと思う。
手放したくないほどの「良さ」のせいで、かえって良いことが離れていくのだとしたら、それはとっても切ないね。
素敵な生き方をしている人は、過去にも現在にも自己ベストやピークが散りばめられている。
過去を置き去りにするでもなく、過去にしがみつくでもなく、過去がごく自然なかたちで現在と密接にリンクしている。
それで、過去と同じか、それ以上の良いことが起きる。
良いことが起きている人の周りには、人が集まる。
もちろん哀しいことも辛いことも起きるけど、そこから逃げないで、受け止めて乗り越えるから、また良いことが起きる。
諸行無常。Nothing lasts forever.
移ろいゆく中にあって、逆らわず、流されず、今をきちんと積み重ねていくことこそが美しいと、みんな、ちゃんとわかっているのだと思う。