Japanese Buddhism

日本の宗教について、補強。

私は日本人の英語が専門なので、日本人がどんな英語を話すかに興味があるが、日本人が英語でどんなことを話すのかにも興味がある。
その中で、日本人が外国人を相手に(特に英語で)「自分は“無宗教”だ」とか「日本人の多くは“無宗教”だ」とか言うのは、やめてほしいなぁと思っている。

やめてほしい理由は、まず彼らが「無宗教とは何か」を知らずに“無宗教”を語っているから。
そして、そう言われた相手が受ける「無宗教」のインパクトは日本人が考えるよりずっと強く、そこにできた溝/不可解さは日本人が思うよりずっと大きいから。
外国人とコミュニケーションするために、国内でほぼ使われていない言語を苦労して学んでおいて、不可解さを生んでまわるようなこと、しなくていいでしょと思う。

よく知らないのに“無宗教”と言いたくなってしまうのは、自分の宗教観について考える機会が少なく、説明ができないのと、外国の一神教のグイグイ感を前にしたとき、「それに比べて日本の宗教は弱いなぁ」というような引け目を感じてしまうからではないかと思う。
で、「よくわかんないし、うまく言えないし、勝ち目もないし、ツッコまれてタジタジするのは嫌だから、無難に“無宗教”ってことにしとこう」という発想になっているのではないかと思う。
「無難」って。
難アリアリやっちゅうねん。

「わからないから、なるべく聞かれないように」と回避の方略をとるのは、よくはないけど、しょうがない部分もある。
問題は、日本の宗教や自身の宗教観について学習者にろくに知識も持たせず、練習もさせず、英語の世界へ送り出してしまうところにあり、だとすると、それについては英語教育という切り口で何らかの改善の手立てを提供できそうな気がする(参照)。
ひとまず多くの日本人は”Japanese Buddhist” を名乗り、「何じゃそれは」となったらタジタジせず、”It’s a very inclusive religion.”ぐらいは言えるようにしておいてあげたいと思う。

そんな中、昨日、このトークに英語字幕がつき、公開された。
宗教の意義とは ― 心の平和を求めて | 松山 大耕 | TEDxKyoto
注目すべきは、視聴者からのコメントとして「これに英語字幕をつけて世界へ発信したい!」というのが数多く寄せられていたことだ。
こういう説明を待ってる人がたくさんいたんだね。
松山さんご本人も、英語字幕をきっかけに、より多くの人にこのトークを聞いてもらえることを楽しみにしてくださっている。

こういう方向で日本人の日本文化理解が深まっていくなら、5年後の「オモテナシ」は意外と良い機会になるのかもしれないと思う。

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