“先輩”

“先輩”のありがたさ、について。

私はいわゆる体育会出身じゃないので、殊更に「先輩」「後輩」と言う機会がないし、その概念が特に好みでもない。
そもそも年齢や経験年数による“数的”な区分にも、学閥にも興味がなく、地元意識も低いからね。
いろんな友達や知り合いがいて、その中には年上も年下もいる。
経験の深い人も浅い人もいる。
そんだけ。
尊敬したり仲良くしたり、かわいがったりかわいがられたりするのに、「先輩」「後輩」を挟まなくても別にいいでしょと思っている。

ではあるのだけど、ちょっとした相談やアドバイスが必要なときに“先輩”の存在はありがたいなぁと思うことはある。

このところ、どういうわけか面倒くさいことが重なって「んもー」となることが続いた。
で、“先輩”に向けて吐き出した。
「こういうとき、どうされてます?」
“先輩”がたは、私の説明がじゅうぶんでなくても、つまり皆まで言わずとも、状況を理解してくれ、「自分はこうしてるよ」と、いくつかのヒントをくれた。
その短いやりとりで、私は“先輩”がたもこれを経験していたこと、“先輩”がたが私の仕事を見ていてくれていたことを知り、さらに、気をつけていたはずなのに、またいつの間にか私が相手のペースに巻き込まれていたことに気づいて、反省する機会を得た。

というわけで、私のモヤモヤはいとも簡単に晴れ、解のない問題を共有し、いなし方を学び、励まされた。
ありがたい。

この“先輩”がたに「大丈夫」と言ってもらえるうちは、私はきっと大丈夫。

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