ブルーベリー

いずれ日本に戻ったときのための覚書。

スーパーのレジで、私がコンベアに載せたブルーベリーのパックをキャッシャーのお兄さんが手にした途端、フタが開いて、何粒かがコロコロと転がり落ちた。

お兄さんは「わ。ごめんごめん」と言って、転がったブルーベリーの粒を集めてパックに戻した。
私は「いえいえ。フタがおかしかったのかもね」と言って、そのまま会計を済ませた。

こういうユルさを、日本に帰った後も保っていくのはなかなか難しいのだろうと思う。
日本だったらまずそんなふうにフタが開くことはないし、万が一開いてしまったら、キャッシャーは平謝りに謝るのだろうし、ひょっとしたら店長が飛んできて、大げさに謝りながら「こちらとお取替えします」とか言って、私は新品・無傷のブルーベリーを持ち帰ることになるのかもしれない。

そういう文化の中にいたら、私もそのくらいの“謝られ方”に慣れてしまって、いつか、それ以下の謝られ方では許せないと感じるようになるのかもしれない。

去年、帰国したとき、日本の高級スーパーで見かけたキレイなおねえさんのことを思い出す。
素敵なスーツで、爪や髪の先まで手入れの行き届いた、いかにも都会でおしゃれに暮らすタイプのおねえさんが、すごい体勢で、ヨーグルトの列の奥を覗き込み、手を突っ込んで一つ取り出しては、おそらく賞味期限を確認し、またすごい体勢で奥から別のヨーグルトを取り出していた。
どんなにキレイでおしゃれでも、あの姿は美しくないと思った。

さらに、空港の国内線カウンターで隣になったおねえさんのことを思い出す。
予約していた便に乗り遅れたのがよほどショックだったのだろうが、とにかくすごい剣幕だった。
自分が遅刻したのを棚に上げ、職員の若い女性を前に、自分はいかに正しく、航空会社側の落ち度によって、この立派なワタクシがいかに迷惑をこうむっているか、極めて有能なワタクシが極めて重要な仕事に間に合わないことがいかに重大な損失となるかについて、そして航空会社が全責任を取って、迅速に穴を埋めるべきであると大きな声で滔々と主張していた。
どんなに優秀で仕事ができても、仮に彼女が正しくても、あの姿は美しくないと思った。

私はそういう風景の中にいずれ溶け込み、今の“普通”と将来の“普通”の間の違いにも気づかなくなるのかもしれない。
その変化は避けられないのかもしれないし、それ自体は仕方がないのかもしれない。

でも。
将来の私には、ふと「ブルーベリーのこと」を思い出すぐらいの心の余裕を持っていてほしい。
私が忘れていたら、「これ読みな」と言って、この記事のリンクを送ってくれるような人を身近に置いている私であってほしい。

よろしく。

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