ベルサイユ宮殿の日本語ツアーに参加してみた。
発表のことで頭がいっぱいだったため、学会後にベルサイユ宮殿へ行くことを決めたときには英語の館内ガイド付きツアーはすでに売り切れていた。
私は何の予備知識もないし、効率よく回るにはガイド付きがいいと聞いていたので困ったなと思っていたのだが、そっか、私ひとりなら日本語でもいいじゃんと思いついた。
で、調べたところ、日本の旅行会社が提供している、パリ市内からの往復と、団体入口が利用できるツアーが取れた。
日曜日は入口で1-2時間並ぶのが当たり前だと言うし、瓢箪から駒の結果オーライなことになった。
ツアー参加者は夫婦らしきカップルが5組と私を含む単品の女性が3人。
集合場所で「おはようございまーす」と挨拶したら、数人は小さく返事してくれたが、概ね“あんまり関わらないようにしよう”という反応だったので、すぐに「あ、間違えた」と思った。
それで気づいた。
このフランスという外国にいる私がベースにしているのは、日本のやり方ではなく、アメリカのやり方だった。
アメリカから飛んで来たし、昨日までずっとアメリカ人と一緒にいたし、ホストの「フランス側」に対して「アメリカ側」という立場だったので当たり前すぎてうっかりしていたが、私はフランスにアメリカ流を持ちこんでいた。
こうして日本を持ちこんでいる人たちの中に入ると、自分が日本を持ちこみ忘れていたことがはっきりわかる。
ぴょこぴょこ小走りしたり、手をプラプラさせて歩いたり、譲るよりも自分が先にチャチャッと通ることを選んだり。
会釈やうなづきなどの特徴的な頭の動かし方をしたり、性別に関わらずかわいらしい/子どもっぽい雰囲気があったり、
どことなくオドオドしてたり。
一方、単品の女性は「私、慣れてます」オーラをやたら出していて、それはそれで不自然だったり。
いずれにしても一目で日本人とわかる。
ガイドさんが「写真撮ってあげますよ」と言っても、とりあえず様子見ですぐには動かない。
みんなが揃っているときには質問しないが、「では解散」となるとガイドさんを取り囲んで順番に質問する。
カップルはカップル間でのみ話し、他の人たちと交わったりしない。
周りの会話は聞こえないフリをしつつ実はしっかり聞いていて、たとえば笑っちゃうようなことが耳に入ってきても一切反応しない。
そのくせツアー終盤になると親しげに話しかけてきて、いざお別れとなると名残惜しんだりしている。
この日本であるあるの光景をフランスで見ることになるとは思ってもみなかった。
そっか、日本語のツアーってそういうことか。
私も彼らも日本人観光客。
フランス語や文化を知らない私たちの不慣れ具合は、日本から来ていようとアメリカから来ていようと大差はないと思う。
昨日も一昨日も、アメリカ人C とこっそり「文化が違うね」と何度も言い合うことがあったもの。
いや、私たちは「Bonjour」「Merci」「S’il vous plaît」の3つぐらいしか言えないから、言葉に関しては日本からの観光客の方がよく知っているかもしれない。
ただ私たちは普段アメリカで言ったりやったりしていることをここでもやっていて、それはもちろん外国風でヨソモノであることはバレバレなのだけど、いちおう“西洋”で通じるやり方だから共通点が多く、比較的違和感が少なくて済んでいたのではないかと思う。
西洋における成人の振る舞いとして違和感たっぷりの日本人たちに混ざってみてようやく気づいた。
同じことがアメリカで起きたらどうかな、と考えた。
もちろんアメリカにも日本をたっぷり持ちこんでいる人たちはいる。
でも、アメリカにいるときの私は彼らを放っておけてるなと思った。
どんなに長く住んでも、周りが見えない人は見えないし、馴染まない人は馴染まないもんだしね。
それは日本人に限らず、ナニジンでも同じ。
その意味で、このツアーの参加者たちは、たとえこの後、長期でフランスに住むことになっても、あまり馴染まないタイプの人たちなのだろう。
そう思ったら、途端に彼らのことが気にならなくなった。
私は私でツアーを楽しめばいいのさ。
それにしても。
私はアメリカにいるときはアメリカ流、日本にいるときは日本流を心がけ、いちおうどちらの国でもあまり目立たないようにできてると思うんだけど、第三国で、無意識にアメリカ流を持ちこんでしまっていて、その方が便利だから日本流に切り替えるわけにもいかず、結果的に日本人の中で浮いてしまうことになるとは。
とんだ落とし穴だった。
油断もしてたし、巧妙にハメられたような気もするけど、この板挟みはどうしようもないね。
とうとうアメリカかぶれになっちゃった。