食い違い

これだから、人の話を聞くのはおもしろい。

両親にプレゼントを探していて、あるコンサートを見つけ、完売必至の人気チケットにも関わらず、たまたま取れたので、両親の予定も聞かず、勝手に予約してチケットを送りつけた。
それから1ヶ月半。
ずいぶん先だと思っていたコンサートの日がやってきた。

その翌日。
感想を聞くためにスカイプをしたら、母は不在で父が出た。
で、父が語る一日の想い出をじっくり聞いた。

そのまた翌日。
今度は母が語る一日の想い出をじっくり聞いた。

そしたら2種類の、違う話が聞けた。
おもしろい。

もちろん2人の話には共通点がある。
演奏者やホール、地名などの固有名詞はもちろん、時間、食べたもの、出来事の順番など、あるいは電車が止まったとか、快晴で桜が満開だったとか。
2人が一緒に行動していたのは間違いない。
芸術や景色に触れた感想や、インパクトの強い順については、感じ方はそれぞれなので、違いがあるのは当たり前。

でもねぇ、2種類の話にはそれぞれ「自分と同伴者」が登場し、その人物像や発言、行動はかなり食い違っている。
2種類の話×2人。
実は4人いたのかな。

最初に父バージョンを聞き、次に母バージョンを聞くという順番も良かったと思う。
違う話になるだろうなという予感はあったが、その違いっぷりは予想をはるかに上回っていた。
2種類の話を聞き終わり、ざっと振り返ってみたら、少なくとも7つのエピソードで証言が異なっていた。
本当はもっとあったかも。
メモしとけばよかった。

目の付け所も違えば、その見え方も解釈の仕方も、記憶への残し方も、説明の仕方も違う。
父バージョンは父らしく、母バージョンは母らしく仕上がっている。
いたって平和な遠足の後日談、それも2日程度のフレッシュな状態でこうだもんね。
そりゃ何日も、何年も経ったイザコザを蒸し返したら「あの時こう言った」「言わない」なんてことになるはずですわな。

世の中にはいろんな人がいて、それぞれがいろんな方法で経験し、記憶し、それぞれに「本人が言うんだから間違いない」という“真実”を
それぞれのバイアスに絡めて語るんだなぁ。

何はともあれ、2人は一日をめいっぱい楽しみ、五感をたっぷり使って素晴らしい体験ができたみたい。
よかったよかった。

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