Plagiarism

バレなくてもダメだけどさ。
バレても一件落着とはならないから、複雑。

ニュースなどを拾い読み。
日本語(参照1 参照2 参照3)の他、英語(参照1 参照2)や中国語(参照)でも報道されているようだ。

TEDを使った授業作りを学ぶMOOC で、主にアメリカの先生方から「Plagiarism を教えるのに、TED-Ed が使える」という意見がたくさんあった。
その縁で、最近このビデオに日本語字幕を付けた。
というわけで、ワタシ的にタイムリーな話題。

もちろん「コピペ」についての指導を強化するのも大事。
剽窃を行った本人が自業自得な結果に終わるのはともかく、学校および社会が優秀な学生や研究者を失うことになるのが、とてももったいないと思う。
大学生になるずっと前から、きちんと教えなくておかなくてはならない。

ただ、まぁルールの問題でもないよね。
ある報告(参照)によると、5歳ごろまでに「Plagiarism は良くないこと」と理解できる一方で、大学生になると罪の意識が薄れるという。
ルールを知り、判断したうえで、魔が差す、というわけだ。
つまり、ルールの確立、周知とは別に、それぞれ個人が判断する際の倫理観と、魔が差さないようにストレスを制御する心理的なメンテナンスが必要となる。

と、ここまでは、あらゆるルール遵守と共通なんだけど。
ことPlagiarism についてはもう一つ、Originality(独創力、独自性)という側面があって、現代日本人にとってはこれが最大の難関なのではないかと思う。

お手本どおりに書いて褒められたり、「選択肢から選べ」や「本文から抜き書きせよ」式の問題で正解を出してきたりした子どもが、習ったとおりのやり方で就職活動し、マニュアルに沿って仕事をし、サンプルを見ながら書類を作り、どっかで聞いたことがあるような返答をし、雑誌で見たものを身につけ、評判のよいサービスを消費する。
育児も家庭も職場も将来も、困りごとの解決はすべて検索結果の言うとおり。
出る杭になれば孤立し、叩かれ、責任を負わされ、損ばかり。
だから、そうならないように細心の注意を払う。
先生や上司や専門家の言うことをよく聞いて、言われたとおりにやってさえいれば、平和が続く。
予定調和、慣例どおり、今さら変えられない、とりあえず思考停止。

そういう社会に生まれ、そういう社会に適切な方法で反発を覚えずに育った人が、論文のときだけ急に「Originality」を求められても、そりゃ書けるわけないでしょ、と思う。
そして、彼らには「自分にはOriginalityがないので、この課題は出せません」と言う勇気もない。

教科書どおりの優等生を量産していればすべてが丸く収まる時代はとっくに終わっている。
そのことに一刻も早く気づいてほしい。
ただし、そのきっかけがPlagiarism では哀しすぎる。

何を考えても、どう表現しても、アリ。
皆それぞれ、違っているからおもしろい。
うっかり他の人と同じ発想になっちゃったら、「しまった」とか「つまらない」とか思ってもいい。(たまには同じもアリだけどね)
多数に呑み込まれそうになったら「ヤバイ」と思った方がいい。
権力者の顔色を窺って言動を変えるのはくだらないと思えばいい。
学校も家庭も、そういう価値観を育てる場になったらいい。

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