学習者と苦手意識

年がら年中、日本人の英語を見聞きしている私がこのごろ思うこと。

いちおう断っておくけど、以下、ただの「思うこと」だからね。
科学的根拠はないよ。

学習者のProficiency Level と苦手分野には相関関係があるんじゃないかな。

たとえばProficiency Level を上・中・初級と分け、分野を「読み・書き・聞く・話す」の4技能とした場合。
「苦手」は学習者による自己申告で、テストによって数値化した結果のような客観性はないものとする。

初級者は自分が何が苦手かわかっていないし、とにかく何もかも苦手という場合もあるので、苦手分野の特定ができない。
中級になると学習者の苦手が形成されてくるが、日本人英語学習者の場合、苦手な順が「話す→聞く→書く→読む」、つまり、「音声的発信→音声的受信→文字的発信→文字的受信」になる傾向がある。

これには日本でさんざん聞かされている「日本人は読み・書きが得意、聞く・話すが苦手」という神話に、学習者自身が沿っていってしまっている可能性があると思う。
また、中級者は身近に英語話者がいなかったりして、英語を話す機会に恵まれていないことが多いため、単に音声的経験が少ないことを「苦手」と言っている可能性もある。

上級者で、特に英語圏に住んでいたり、英語を使って業務を行っている学習者では、苦手順が「書く→話す→聞く→読む」、つまり、「文字的発信→音声的発信→音声的受信→文字的受信」というものが現れる。

これは、上級者となると「ただ通じる」では満足できないので、「より正しく」「巧く」という要素を加えると、「書く」が苦手上位に挙がってくるのではないかと思う。
上級者は「間違いなく聞き取る」「正確に読む」についてはほぼ問題なくできており、「話す」場面では相手の協力を得るスキルでカバーできるので、「書く」が苦手として残りやすい。
また、上級者の環境では「論文を書く」「文書の交換をする」など、自分の書いたものに対する責任が重くなるので、その重要性に対する学習者の自覚の表れとして苦手に挙げる傾向が強くなるのかもしれない。

そして実はこれ、4技能の難易度として、ネイティブとほぼ同じ捉え方だと思う。
扱う内容が複雑になればなるほど、発信が受信より難しくなるのは母語でも同じだもんね。
実際、上級者が「書く」「話す」場面では、ネイティブと同じか近い基準で評価されることが多いので、苦手順もNative-like にならざるを得ないのかもしれない。

また、苦手順には学習者の母語での経験も影響しているだろう。
初級者は母語と第二言語をはっきり分けて考える傾向があり、母語の苦手順が第二言語の苦手順に影響しない。
自分の母語の能力に無頓着な場合もある。
「母語は話せて当たり前。第二言語は話せなくて当たり前」みたいな。

中級者は母語と第二言語を比較したがる傾向がある。
「母語なら話すのは得意だけど、第二言語では苦手」とかね。

上級者は母語と第二言語をあまり区別しないので、苦手順が近づいてくる、かな。
「母語だろうとなんだろうと、話すということが苦手」など。

そうやって考えていくと、疑問として浮かんでくるのは「Proficiency Level と苦手意識の変化の関係」について。
初級者が中級へ進むときは、まぁ言語的な“目覚め”があって、たとえば自分の母語の使い方に目が向くようになったり、他の人の言葉遣いを注意深く観察するようになるんだろうけど、中級から上級への変化はもっとずっと複雑そうだよね。
Longitudinal study か、Retrospective cohort study かな。(hint hint)

おもしろそうじゃん。
誰かやんなよ。

↓「誰かやんな」シリーズ

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