人にはそれぞれ、好みのスピードというのがありそうだね。
tak さんが『体に身に付いていた、不自然なスピード感覚』(参照)という記事で、自転車乗りとクルマ乗りのスピード感覚の違いを論じていらっしゃる。
長年クルマのスピードに慣れていたので、自転車に乗ったときに「トロい」と感じる、という。
これを読んで、気づいた。
私の身についているスピード感覚は徒歩だ。
自分の歩く速度をベースに、それに比べて速いか遅いかでスピードを感じ分けている。
私は大股で歩くので、歩きとしては速い方だが、それでも所詮、徒歩は徒歩。
なので自転車は私にとっては速い。
ペダルやや重ぐらいの速度ならよいが、下り坂で加速となるともう怖い。
スキーやジェットコースターは速すぎて怖すぎて耐えられない。
空飛ぶじゅうたんとか、タイムマシンとか、絶対無理。
車は速度としては確実に速すぎるのだが、幸いフロントガラスで風がさえぎられているので大丈夫。
どうやら私は前方から体に受ける空気の動きで速度を測っているらしい。
バイクはほとんど乗ったことがないが、フルフェイスのヘルメットをかぶって二人乗りの後ろなら結構大丈夫かも。
世の中には最高制限速度をオーバーする人がたくさんいて、車やバイク、ボートなどの乗り物にしても、人力で走るにしても、スピードを競うレースの類がたくさんある。
おそらく人間の多くは「速さ」への憧れを持っていて、それを追求することが発展や進歩とされているのだろう。
もっと速く、もっと速く。
速いということに快感を覚えるのだろう。
高速道路で窓から首を出して気持ち良さそうにしてる犬とか、ヤツらはかなり人間に近いんじゃないかしら。
コミュニケーションにおけるスピードも然り。
話すのも書くのもやり取りも「より速く」に向かっている。
英語教育で言うなら「日本語と同じ速度(早口)でペラペラしゃべりたい」「もっと速く読み書きできるようになりたい」「咄嗟にパッと返したい」「今すぐ上達したい」「たったX日でマスター!」とかね。
与えられたモノの速度に応じて人が自分のスピード感覚を変化させると考えれば、進歩=高速化という定義のもと、人が心地よいと感じる速度も上がっていくのは当然のことなのだろう。
速度を楽しめないどころか、どちらかというと嫌う傾向がある私のスピード感覚は、特に先進国に住む現代人としては相当ズレている。
私の好むスピードは、tak さんの言葉を借りれば「トロい」もいいところ。
自転車や車に乗るときは周り(主に後ろ)の迷惑にならないように、あるいは最低速度制限に引っかからないように、仕方なく速度を上げて走っているが、許されるならできるだけゆっくりにしたい。
コミュニケーションもまったく同じで、相手の迷惑にならないように意識的に速度を上げることはするが、放っておいたら速度はどんどん落ちる。
日本語はネイティブだけど話し方はゆっくり。
読み書きも遅い。
返信などオンライン上の反応がマメだったり、決まってから実行に移すまでの期間が短いので誤解されやすいが、これは速度を上げようと思っているのではない。
すぐやらないと忘れちゃうから。それだけ。
ちゃっちゃとやって、覚えておかなくてよい状態にさえできれば、相手からの返事がいつになろうとも一向に構わない。
待つのは平気。
ズレていて困ることもないわけではないが、日常生活でイライラしたり、早とちりすることがほとんどないのは、速さを求めず、遅さに対応できるおかげだろうと思う。
ありがたいことに、最近は速度を求めないところに付加価値がつくようになってきている。
遅いことを、贅沢で豊かなことと解釈し、積極的に取り入れる場面も増えてきている。
いよいよ真の“ゆとり世代”が誕生するのかも。
遅さを味わう人が増えたら、やがては私のスピード感覚も“普通”と呼ばれるようになるかもしれない。
そんな日が来るか、来ないか。
私の寿命で間に合うか。
気長に見守ろう。
私は自転車に乗るときでもギア比を最高にして、太ももにはっきりしたテンションをかけながら走るのに快感を覚えてしまいます。ただ、下り坂で重力にまかせてスピードを上げすぎると、やっぱりビビるので、ブレーキをかけますが。
子どもの頃、修学旅行でバスに乗り、窓の外を流れる景色を見つめ続け、目的地に着いてバスから降りると、前につんのめりそうになった感覚を、今思い出しています。やはり速すぎるスピード感覚は、身の程感覚を麻痺させます。
スピード感覚にも「臨界期仮説」が適用できるかもしれません。私は子どもの頃、自転車に乗らず、家に車はなく、移動はもっぱら景色の見えない地下鉄でしたから、スピードの基本とするものが徒歩しかなかったという可能性があります。速さへの憧れがなかったので、そこで満足したまま、現在も徒歩が私の好みのスピードになっているのでしょう。
「より速く」を好む人のおかげで世の中は便利になっているので、私のような人が少なくてよかったです。移動手段の高速化を実現してきた人たちは常に「未体験の速さ」が好みだったんでしょうね。