“オールイングリッシュ”について、また。
※“オールイングリッシュ”は日本語です。念のため。
日本の学校で、生徒のほとんど~全員が日本人、教員も日本人という環境で、英語の授業をすべて英語でやるのが良いか悪いか。
「どう思います?」と聞かれることがあるが、正直、私はその議論自体に興味がなくなってきている。
私の答えは「どっちでもいい」。
個人的には“オールイングリッシュ”に賛成していない。
関係者全員が日本語を使える環境で、教科が何であれ、日本語を排除して授業をやる意味がわからないし、現在の日本の英語教員の英語能力を考えれば、授業のすべてを英語にすることで何が良くなるのかわからない。
生徒も教員も、できないことが増え、できることが減る。
それでも、明らかなことほど伝わりにくく、正論ほど無視され、疑問の多い案が採用されるのは、特に日本の英語教育ではよくあることなので、今後、たとえば“オールイングリッシュ”が法律で定められても私は驚かないと思う。
そして、そうなれば議論の余地はない。
“オールイングリッシュ”でやるしかないんでしょう。
その中で、学習者のためになることを最大化するしかない。
私の「どっちでもいい」には、そのあたりの意味が含まれている。
しかし、制度がどうなろうと、私にとっては瑣末なこと。
「どっちでもいい」の主な意味は、「学習者の意向次第」ということである。
たとえば私が1クラス任されることがあるなら、私は最初の授業で生徒たちに“オールイングリッシュ”にするかしないか、決めてもらう。
賛成派、反対派に分かれて討論をしてもいいと思う。
インターネットで情報を集めたり、親や近所の大人たちの意見を聞いてきたりしてもいい。
“オールイングリッシュ”のメリットとデメリットをしっかり把握して、そのうえで、自分たちはどうしたいか、考えてもらう。
「日本語を禁止にして、英語のシャワーを浴びまくりたい」でも、「どうしてもわからない時だけ日本語を使えるようにしたい」でも、「正確に、効率よく学びたいから日本語をたっぷり入れてほしい」でも、「“英語だけ”と“日本語OK”の授業を交互にしてほしい」でも、どれでもいいよ。
生徒が自分たちで決め、納得したやり方でやろうじゃないの。
とりあえず1ヶ月なり1学期なりやってみて、利点、反省点、改善点を出し合って、次はどうするか、また決めたらいい。
学び方、教え方には完璧なものも、万人向けのものもない。
どんなやり方をしても、不足や不満は必ず生じる。
でも、どんなやり方をしても、得るものは必ずある。
大切なのは何をどう選び、与えられたものをどう利用し、どう学ぶか。
それを知ることには大きな教育的意義があるし、一生学び続ける学習者として、ずっと役に立つ。
学ぶ側は自らの学びに責任を持ち、教える側は自らの仕事にプライドを持ち、不完全で制約の多い環境で両者が協力して、その中で最大の成果を上げることを一緒に目指していく。
それさえできれば、“オールイングリッシュ”だろうと何だろうと、そんなことは「どっちでもいい」のさ。
ついでに言うと、ICT(情報通信技術)の活用とか、flipped classroom (反転授業)とかも同じだよ。
「どっちでもいい」。
私個人の意見や好みはさておき、使えと言われれば使うし、使うなと言われれば使わない。
もしそのことで学習の何かが劇的に変わるようなら、本質的な問題は別のところにあるのだと思う。
お母さんがあんまり不安でそわそわしてると、子どもは落ち着いて暮らせないでしょ。
お母さんが慌てず騒がず、どーんと構えてると、子どもはのびのび育つでしょ。
先生と生徒もそうじゃないの?
「先生はどういうふうにでもしてあげるから、皆がいちばんやりたい方法を考えてごらん」と言ったら、生徒の学ぶ意欲は高まるんじゃないかな。