外国人が話す日本語を聞く機会と、日本人の英語について。
日本のニュース番組で、取材される外国人が日本語で答えたインタビューをそのまま放送するものが増えているように思う。
バラエティ番組やワイドショーではなく。
ゲストに呼ばれるほどの、日本語が特別に堪能な外国人ではなく。
“普通”の外国人が、まあまあの日本語で、真面目なことを真面目に話している様子が映し出される。
こういうものを見聞きする機会が増えると、日本人の英語学習に対する意識にも変化が現れるのではないかと思う。
どういう変化かはわからないけど。
バラエティ番組の“ノリ”の要素を抜かれ、お堅い話をすることを求められると、その環境は第二言語話者にとってより厳しいものである
ということに気づくだろう。
キャスターなど日本語ネイティブの中でも日本語が上手な日本人が中心となって進めている番組の中では、外国人の日本語の非ネイティブさが際立つ。
それでも「ガイジンさんなのに上手ねぇ」と思うか。
「もっとがんばれよ」と思うか。
日本に住んでいる外国人の場合、日本語を学ばず母語だけで生活している人も多い。
それで暮らしていけるのならそれでいいのか。
いつまでもカタコトで留まっているのはどうなのか。
外国人の日本語をネイティブの立場から考え、「では自分の英語学習はどうか?」と考えてみると、今までと違った角度で、何か新しいことが見えてくるかもしれない。
「日常会話ができるようになればいい」と言う学習者は、「あれ、日常会話って結構高度かも」と思うかもしれない。
自分は英語圏の街でインタビューされたとき、あんなふうに咄嗟のやりとりができるかな。
そして「日常会話ができるようになるまでがんばろう」と思うか、あるいは「日常会話は無理。挨拶と返事ぐらいはがんばろう」と目標を変更するか。
「必死でやるほどのことでもないな。もう英語はやめよう」と思うか。
英語で発表や質疑、交渉をする必要のある人は、自分の英語が重要な場面でどう聞こえるか、考えるかもしれない。
英語圏のニュース番組で取材に答えたとき、自分は英語を話し、ナマの声を届けることを優先させるか。
それとも通訳や字幕を利用して日本語で答えることを選択し、ニュアンスや正確性、効率を重視するか。
その場合、訳された英語の質を自ら確認できる程度の英語力が自分にはあるか。
“普通”の外国人の日本語を聞けば、日本で文学や歴史を学び、漢字や古語を難なく遣い、「日本人より日本語が上手」と言われるような“普通じゃない”外国人の言語能力がいかに高いか、気づくだろう。
第二言語を習得するということが、どれほど難しく複雑で、“ペラペラ”に属する第二言語話者にはどれほどの幅があるか、気づくだろう。
第二言語を上達させたいと思ったら、言語だけをやるのではなく、文化や専門的な知識や、受け答えの実践的な練習が必要なんだな、と。
ま、それは別に本人が気づかなくても、気づいている人が学習者のためにそう唱えて教材や授業を用意してくれてるから、それに乗っかっとけばいっか。
とにかくそんな感じで、「外国人の日本語を聞いて、日本人の英語を考える」という人の振り見て我が振り直す的なことが起きたらいいなぁ。