糸井重里さんと宮沢りえさんの対談、『試練という栄養』(参照)を読んだ。
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宮沢
「試練は、ごほうび」と、いまから考えるようにしておけば、将来、それを受け止めたときにからだへの負担もすくないかな、と。
糸井
うん。逃げてるときに叩かれるとすごく痛いけどさ、「さあ叩けよ」と言って叩かれれば、「そうか」って思うよね(笑)。
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糸井
それがだんだん、「かわせないんだ」って、あきらめることが増えていくんです。
宮沢
あきらめることはでも、美しいです。
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興味がわいたので、最近の宮沢さんの映像をいくつか観た。
どこかで、「変わらないですね」と言われて、「年相応です」と答えていた。
宮沢さんは41歳。
『年相応』。
今の日本で、この言葉を、ちゃんとした意味で使えることが素晴らしいと思う。
年齢を重ねてもちっともオトナになれず、幼く軽薄で無責任で身勝手なコドモだらけの日本において、宮沢さんの『年相応』な佇まいは挑戦的でさえあると思う。
外見や中身を幼稚に保って、ワカサに追いすがり、老いることに必死で抵抗し、死を遠ざけようとする情けない姿勢に真っ向から反対しているように見える。
日本で育ち、アメリカへ来た20代の人たちと話すと、「日本の同世代と話が合わない」「こっちで出会う人たちは大人っぽい」というようなことをよく聞く。
そうだろうと思う。
いろんなことがガラパゴス化しているあの辺境の国では、『年相応』も世界標準から大きく外れた独自の展開をしている。
その文化の中へ、私はいずれ戻るかもしれないけど、きちんと年を取ることは忘れないようにしようと思う。