今年も保護者面談の季節。
通訳に行って来た。
2012年4月からお手伝いをしているB小学校に加え、今年は新たにL小学校にも呼ばれた。
あの地区は日本人が増えてるのかしら。
先々週、先週行ったL小学校は横に長い学校だった。
今週、来週はおなじみのB小学校。
こっちの方が明るい雰囲気かな。
小学校に関わる大人は、先生も職員も皆めちゃめちゃ親切だが、中でもB小学校のESL教師Lのきめ細やかさは群を抜いている。
ま、心配性で慎重すぎるって面もあるけど。
彼女の気配り、生徒や親を観察する目の確かさは素晴らしい。
1組目のご両親を見送りつつ、玄関近くで立ち話をしていたときのこと。
ご両親が日本語で「ありがとうございます」と言ってお辞儀するのに応え、Lもお辞儀しながら「どういたしまして」と言った。
これは今までにも何度か見た光景。
さすがESL教師、外国文化と挨拶程度の外国語は知ってるんだなと、あまり気にしていなかった。
するとLが「もう20年ほど前になりますが、私は1年間、日本に住んでいたことがあるんです」と言い出した。
えぇぇ?
…と驚いて反応したいところだが、とりあえず通訳としてご両親のためにそのまま訳す。
訳しながら目で「聞いてないよ」と伝えると、Lは「そうね、言ってなかった」。
で、次の保護者が到着するまでの間に話を聞く。
当時19歳だったLは、大学3年生になる年、自ら希望して日本にある外国語大学へ留学した。
縁もゆかりもない、言葉も文化も知らない国へ行くと聞いた親は大反対。
「母は心配で死にそうだったわ。『外国へ行きたいなら、イングランドでいいじゃないの。イングランドなら親戚だっているし』と言われたけど、私は知らない国だからこそ行ってみたいと思ったのよね」。
1年間の経験は期待以上に素晴らしく、Lは日本文化に魅了され、日本語もどんどん覚えて、滞在中に日本人グループとともに香港で日本語を教えるプログラムにも参加したらしい。
「でも今ではすっかり日本語を忘れてしまって。当時は漢字も(上級の目安である)2000字は覚えてたのに、今は当時の自分が書いたものを見ても読めないの。挨拶ならいくつかできるけど、それも怪しいものだわ」。
母国で母語である英語を教えるESL教師Lと、第二言語である英語を母国人に教える言語コーチの私。
二人で「言語って難しいね」としみじみ。
「そのときの経験から、ESLを志すようになったの?」と聞くと、Lは大きくうなづいて、「そう。あの日本で暮らすという経験がなかったら、今こうしてESLを教えることはなかった」と言う。
「言葉も文化も知らない、友達もいない土地へ行くことにはもちろん楽しさも喜びもあるけど、行く前には考えもしなかった怖さや不安を味わった。それは今でも忘れられない。そして私はyoung adult (若者)として自らの意思で日本へ行ったけど、ここに来る子たちはそうじゃない。望んでもいないのに、ある日突然、外国の学校に入れられて、周りの子がするのを見よう見まねでやっていかなくちゃいけない。私はそれを助けたいと思ったの」。
じーん。
この2年半の間にも、Lのような人がESL教師をやっている学校に入れて、日本から来た子もその家族も、なんてラッキーなんだと何度も思ったけど、今日、Lの体験談や志を聞いて、改めて思う。
外国からアメリカに来て、初めて出会うESLの先生がLだったら、その子は本当に本当に幸運だ。
私もLと出会えて、本当に幸運だ。
そう伝えるとLは頬を赤らめて
「いやいや、そんなことないのよ」。
いつものLらしい反応だけど、今となってはこれが若い頃に日本に感化された名残に見える。
外国語や第二言語を学ぶって、教えるって、いいもんだな。
がんばろ。
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State Test 初日 (2012/4/26)
私も、読んでて、じーーーん。。ときました!!
そのL先生のいらっしゃる小学校の学区に引っ越したくなりましたよ〜。
ご紹介しますよ。笑