ありのまま

椅子が壊れた。

肩のあたりに違和感を覚え、そういえば椅子が少ーしだけ下がったような気がしていたので、これが原因じゃないかなと思った。
で、何年かぶりに高さを調整しようとしたのだが、動かない。
椅子をひっくり返し、調整レバーを点検。
うーん?
見た目には問題ないし、操作は合っているようなのでキコキコキコキコ、やってみた。

すると急に、クイクイッと2段階アップ。
いやいや、それは上がりすぎ。
で、下げようとしたが、動かない。
ロックを外し、水など重めのものを抱えて、勢いをつけて乗っかったりしてみたが、動かない。

ネットで調べた結果、どうやらガスの問題で(参照)、シリンダーの交換が必要だということがわかった。
DIY は好きなほうなので、シリンダーを買って直そうと思っていたのだが、どうやらこの椅子のシリンダーは規格外らしく、お手頃価格のUniversal タイプが使えないようなので、あきらめて新しい椅子を買うことにした。

それはいいんだけど。
この一件で、自分が普段いかに快適に暮らしているかがよくわかった。

シートや肘掛そのものの状態は同じでも、ほんの7cmほど高くなっただけでものすごく疲れる。
踵が床にちゃんとつかないし、前の台に足を載せると今までと角度が違うせいか足がしびれてくる。
寝返りのように無意識に動くことが少なくなっているので、エコノミー症候群になりそう。
マウスを操作する手も下がるので腕や肩に負担がかかる。
足元にはクッション、マウスとパソコンは本などで底上げしてとりあえずしのいでいるが、いつものように長時間座っていることはできない。
幸い、諸々ワイヤレスになっているので、ソファなど場所を変えて作業することはできるが、高い集中力を要する作業には向かない。

で。
知ってたけど、改めてつくづく思った。
私には不具合を放置したまま暮らすことはできない。
我慢することは多いけど、その手の我慢はしない。
気は長いほうだけど、これは待てない。
速やかに解決したがる。

世の中には住み心地の悪い家に住み、寝心地の悪いベッドで寝て、心配や不安に怯えながら暮らしている人もいるらしい。
好きでもない服を着て、外反母趾になってもヒールを履いて、おなかがすいてなくても食べ、飲みたくないのに飲み、やりたくないことをやり、やりたいことをせず、悩みを持ち、バクダンを抱え、気にしないフリをして今日という日をやり過ごしている人もいるらしい。
不具合を不具合のままに、ストレスと同居し、ストレスを溜め込み、増やし、複雑化させ、状況を悪化させることを選んでいる人もいるらしい。
気になっていることを後回しにして、後回しにしていることも含めて気にしている人もいるらしい。

そしてそれらを隠したり誤魔化したり、忘れようとしたり気を紛らわせようとしたりしていろんな行動をするらしい。
大変ね。

「臭いものにフタをする」っていうからね。
私は臭いものとの同居には耐えられないので、発見次第、すぐ捨てて容器を丸洗いして片づけるか、容器ごと捨てちゃうんだよね。
明日に持ち越したりするなんて、ありえない。

考えてみると、私が意識的に無理をしようとしたり、ドMを自称して苦手なことをしぶしぶやったりできるのは、日常に無理がないからこそなんだろうな。
他で小さな無理を重ねていたら、大事なところで無理が利かないということなのかも。
そういえば日本で「♪ありのーままのー 姿みせるのよ」が流行っているのは、ありのままに生きることができていない人たちが多いことの表れだという説を耳にした。
なるほど。
オリジナル(英語版)はどちらかというと「ビクビクしない」「放っとく」「気にしない」というニュアンスだけど、確かにそれでは「ありのまま」ほどは日本人に刺さらなかったかも。
本当にあの日本語版は日本人にピッタリというわけだね。

ただ、その見方だと映画の筋も変わってきちゃいそうだけど、そっちの影響はないのかな。
あったとしてもそれでいいのかな。
ま、芸術作品なので解釈は自由ってことで。

ついでに言うなら「ありのままの姿」なんて、やたらめったら見せるもんじゃないよね。
見せられた方は困っちゃうし。

以上、こう見えても椅子が壊れた話。

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