自分の身に起きたことや、その意味を理解する能力について。
以前、友人にこんなことを言われた。
「emi は痛みを感じなすぎる。
おでこにナイフが刺さって、血だらけなのに、まだニコニコ笑ってるようなもの。
大ケガしているのが他の人には見えているのに、本人だけが気づいてない。
強いというより、怖いよ」
私が「えぇ?そうなの?」と言うと、
「ホラわかってない。
まさに今、ナイフが刺さってる状態なのよ。
痛んでいるのに、それを感じてないでしょう?」
そこまで言われても、よくわからなかった。
よくわからないけど、そういうものなのかな、と思った。
ケガなどのフィジカルな痛みにはめっぽう弱いので、ナイフの例えではピンと来なかったのかもしれない。
辛いものを食べたとき、飲み込む頃まで辛さを感じず、辛いという感覚が遅れてくるのは、辛みが味覚ではなく痛覚によって感知されるからだという。
私の痛みの感じ方に遅れが生じるのも、たぶんそういうことだろう。
多くの人は、痛みに対する反応が早い。
それは、痛みを痛みのままには受け止めていないからではないかと思う。
我が身を守るために、痛みは早く感じた方がいいんだろうね。
辛みを「辛味」と名づけて、味覚で感知するように、痛みを怒りや悔しさ、恥ずかしさ、自責の念などに加工して、感情や心で受け止めるようにすれば“遅れ”は生じないのだ。
どうやら私にはその加工能力が欠けているらしく、痛みを痛みのまま、ライナーでダイレクトキャッチする癖がある。
ドMだから、我が身を守ることにあんまり興味がないのかな。
受け止める場所は感情や心ではなく、頭。
だから何が起きたかわかるまでに時間がかかる。
反応が遅れる。
動物として、かなり下等。
よい子はマネしないでね。
今日は過去のある出来事について、それが実際にはどういう経験で、どういう意味があったのかが急にわかった。
なるほど、だからその後ああなって、こうなったのか。
出来事から今日までに10年以上の時が経過している。
せっかく気づいたけど、時間が経ちすぎていて、とっくにいろんな物事が変わってしまっていて、私にできることはもう何もない。
手遅れ。
このペースで行くと、現在の私の身に起きていることが実際にはどういうもので、それに何の意味があるのか、わかるのは今から10+年後ということか。
そしてわかったときにはまた手遅れ。
困ったもんだ。
私はとても鈍いのだと思う。
人間だからどうにか生きながらえているけど、他の生き物だったらひとたまりもなかっただろう。
人間としてもかなり脆弱。
それで、そういう欠陥を補うために、とびっきりの運の良さと、並外れた良い環境と、周囲の助けをたっぷり与えられているんだろう。
そうでもなかったら、やってけないもん。
しかし、カミサマよ。
こんな手間のかかるヤツを生かしておく意味があるのかね。
その答えは生きてるうちにわかるのかしら。
わかんなくても、別にいいけどさ。