英語の相談相手

振り返りついでに。
私が英語の相談をしてきた人たちのこと。

自分の英語学習歴を振り返ると、そこにはいつも、英語のことで相談できる相手がいてくれたことに気づく。
しかも、その顔ぶれがすごい。
特に留学を始めた2006年以降がすごい。

最初はルームメイトのR。
当時の私は英語教育のシロウトだったので、私が英語の相談を持ちかける相手としてどういう人が向いているかわかっていなかった。
Rは単なる「身近にいるネイティブ」だった。
Rは私の英語を見れば、なんとなくおかしいところに気づくし、修正もしてくれるが、なぜ修正が必要か説明できない。
ま、典型的なネイティブなわけだね。
それでも彼女はフランス語ができたので、彼女の言語能力は普通のアメリカ人よりはるかに高かったのだと思う。
彼女は当時もフランス語を教えていたし、今はフランスに住んでいる。
あ、ってことは、英語を教え、日本語はネイティブだけど教えられない私と同じだったのか。

学期末にRが卒業していなくなって、次の学期からは新ルームメイトのCに相談した。
Cは教育心理学専攻でアネゴ肌で説明が上手だった。
「Word にカラフルな波線が出ても気にすることないのよ。『キレイだなぁ』『コイツ英語のことわかってないなぁ』と思っときな」ってな感じだった。
評価や成績とは無関係に、いつまでも自分の英語に自信がつかず、ウジウジしやすい私の性格を踏まえてのアドバイスだったのだろう。
私が教え方の違いによる学習効果の違いに気づいたのは、Cがきっかけかもしれない。

考えてみると、たまたま留学初期にキャンパスの大学院生用のアパートに住んでいたことが、私の英語学習に大いに役立っていたのだな。
4人用スイートの構成員は常にネイティブ×2、非ネイティブ×2。
私は最初の1年間で、ネイティブ×4、非ネイティブ×2と暮らした。
専攻は違えど、なにしろ皆ちゃんと勉強している人たちで、かつ外国人と共同生活ができる、少数派の人たちだもんね。
それだけでも恵まれた環境だった。
そして、日常的に出入りしていた彼らの友人たちと話すという経験からは、より一般的な“外部”の人と接する際の言葉や話題の選び方を学んだような気がする。
ルームメイトとの、家族のような友達のような、そのどちらでもないような独特の距離感が、学習という、ある種の緊張感を保つのにちょうど良かったのかもしれない。
また、アメリカ人たちからアメリカ的な文化や考え方や暮らし方を盗みつつ、留学生同士、共通の悩みや失敗を分かち合うという、そのバランスが学習者としての私の精神状態を健康に保つのに良かったのだと思う。

やがて私の周りにはTESOL関係の知り合いが増え、ネイティブの学生ほど教えた経験が少なく、私たち留学生のTutorを希望する人が多かったので「ぜひ私を使って」とお願いして、いろんな人に書いたものを見せたり、英語の相談を持ちかけたりした。
一口に“ネイティブのTESOL関係者”といっても、皆がみんな、教えるのが上手ではないし、私との相性もある。
直しすぎる、直さなすぎる、脱線しすぎる、教えたがり、教わる側任せ、細かすぎる、言い方がキツイなど、いろんなタイプがいるんだなと気づいた。
また、たとえば書いたものについて、どんなに仕上がりが美しくても、直されすぎると自分の文章でなくなるということもわかった。
この経験は、校正というものの意味を知る機会だったのだと思う。

ここ数年、私が英語のことでよく相談するのはTとJという、個性の異なる二人。

Tと私は、私が担当していたTESOLの実習のクラスで知り合った。
卒業後は台湾の大学で教えている。
出会った当時のTは「教えた経験のないネイティブ」の一人だったが、彼女がもともと持っていたEmpathy が、「伝えたいけど伝わらない」言語学習者の状況とぴったり合って、素晴らしい教師になった。
彼女のアート感覚も、言語やコミュニケーション、教育をアートと考えている私と相性がよい理由の一つだろう。
さらに経験を積んだ彼女は今やアジア人の英語にも慣れて、私にとってはかゆいところに手が届く存在。
私が持ち込む相談も、全部言わないうちに意図を理解してくれ、私にわかるように、過不足なく説明してくれる。

Jはプロのコピーライター。
外国語の経験はないが、英語に対する感性の鋭さ、着眼点のよさが半端ない。
彼女の書くキリッとカリッとした文章は本当にかっこよく、とても私には真似できない。
選り好みがはっきりしているJだが、なぜか私の面倒をよく見てくれて、英語の相談にもこまめに乗ってくれる。
たとえば書いたものをJに見てもらうと、ピシピシピシッと赤を入れてくれるのだが、どれも、言われてみれば納得するポイントばかり。
それでいて、直しすぎず、私の個性をちゃんと残してくれているので、修正されることがうれしいと感じる。
自分のものでありながら、磨き上げられた感じになる。
Jに”You’re sooo good at writing” とか “Your understanding of English, as always, surpasses that of most Americans.” とか言われると、ウジウジ型の私でもうっかり調子に乗りそうになる。

「ねー、これどう思う?」と文法の話を持ちかけたり、実験的な語彙や表現を試させてもらったり、おもしろい誤用をシェアし合ったり、詩やQuotes の奥深さを解説してもらったり、「何言ってるかわかんないね」と一緒にさじを投げたり。
そういう英語の相談ができる相手を持つことは、少なくとも英語学習者としての私にとって、なくてはならないものだ。
相談相手から学ぶことは多い。
相談を通じて得た感覚が、他の人の英語を見るときにも役立つのだ。
そしてそれは、文章の良し悪しや、発言の信憑性を見極めるコツにつながっていると思う。

とはいえ、これを他の人に勧められるか、英語教育に取り入れられるかというと、それはちょっと微妙だな。
「そういう人、探してもらえませんかねぇ?」とか、「街で見かけたガイジンにはもれなく話しかけます」みたいな人が増えても困るし。

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