Let It Go

『アナと雪の女王』の歌のこと。

『アナと雪の女王』はディズニーの『Frozen』。
だいぶ出遅れたけど、今は知ってるよ。
略して『アナ雪』って言うんでしょ?
イントネーションが微妙だけど、『粉雪』と同じでいいのかな。

で、もう、とんでもないヒットで、夏だというのに氷の映画をまだやってるんでしょ。
で、そのテーマソングがあちこちでかかって、みんなの頭の中をぐるぐる回ってんでしょ。
知ってるよ?

まぁそうなると
原曲である英語の歌詞と、日本語の歌詞を比べて、ここが違う、これはおかしい、と言いたくなる人もいるわけで。

ま、これは日本語“訳”じゃなくて日本語“版”なんだろうから、音の数や印象に制約ありまくりの中で意味が犠牲になるのはしょうがないんじゃないのかな。
ちなみに私は英語版も日本語版もフルで聞いたことがないので、どちらの歌詞もよく知らない。

でもサビは知ってる。
そのサビに私は感心している。

“Let it go”に「ありのー」を当てている。
これ、すごいよね。
日本語版の歌詞を作った人は、これを思いついたとき、さぞ気持ちよかっただろう。

日本語母語話者は英語の’l’ や’r’ の音が苦手。
その理由は日本語にはそれらの音がなく、さらに’r’ に比較的近い「ラ行」に属する音があるせいで「ラ行」に引っ張られずに’l’ や’r’ を新たに習得することが難しいから。
‘r’ が発音できるようになると、おそらくはその「英語っぽい」気持ちよさから’l’ を’r’ にして発音する癖がついてしまう人もいる。
発音がごっちゃになっているから、スペルもごっちゃになり、聞いたときもごっちゃになって、区別できない。

ということは、同じ理由をひっくり返すと、英語母語話者にとって日本語の「ラ行」は発音しにくい。
実際、日本人によくある「ラ行」で始まる名前は英語母語話者にとっては難しく、たとえば「りょうた」などは「りおた」のようになってしまう。

2001年、私がアメリカの大学で日本語を教えていた頃のことを思い出す。
日本在住歴があるアメリカ人の教授に「アメリカ人に『ラ行』を教える方法」を教わった。
まずローマ字では’r’ と書くけど、日本語の「ラ行」は’r’ とは別の音だと教えること。
そして、「ラ行」の音を認識させるためには、”city””pretty” などの語をゆっくり発音させ、「その’t’ のとこの音、それ覚えておいて」と教えること。

このアイディアは重宝した。
「ツ」と同じで、語頭に来るとまた難しいんだけど、とりあえず「ラ行」の発音を教えるのに役立った。

さらに2006年、クラスメートのアメリカ人Dが付け焼刃で日本語の単語を覚えようとしていた時のことを思い出す。
日本の中学生が英語にカタカナで“読み”を振るように、Dは日本語に、自分なりの“読み”を振った。
そして彼は「きゅうり」に”cutie”と振っていた。

“Let it go”は、一昔前の日本人なら「レットイットゴー」と読んだものだ。
少し進んで「レッティッゴー」という時代もあったかもしれない。
それが、2014年。
日本中が「レリゴー」と読んでいるらしいじゃない。
聞き飽きてうんざりしている人は多いようだけど、どうやら「レリゴー」という表記なり発音なりに対して気持ち悪いとかウザいなどという声はさほど上がっていないようだ。
すでに「パーリナイ」などが定着していたから、いまさら強い抵抗感を覚えることはなかったんだろうね。

いやぁ、すごいことだな。
この流れで、どさくさにまぎれて、’l’などの音にも抵抗を感じなくなって、うっかり普通に発音できるようになっちゃわないかなぁ。

「Let It Go」への6件のフィードバック

  1. 確かに、隔世の感ですね。
    1970年には、みんな 「レット・イット・ビー」 と言ってましたからね。歌っても 「レリビー」 になる人は少なかったなあ。
    1983年になっても、「ビート・イット」 だったし。
    それが、ある頃から Michael を 「マイコ—」 と呼ぶようになり、「チェキラウ」 なんて言うようになり、今や、「レリゴー」 「パーリナイ」 ですからね。

  2. おもしろいですね。ただ、こうした新表記・新発音には一貫性がなく、意味も不明確なので多くは短命になりそうな気がします。よくわかんないけど、なんとなく流行る。担い手は間違いなく“感覚”の人たちでしょうね。

  3. >ただ、こうした新表記・新発音には一貫性がなく、意味も不明確なので多くは短命になりそうな気がします。
    もちろん、これらは 「感覚の産物」 で、「裏街道の渡世」 です。
    ただ、これまでの 「日本人の英語」 は、感覚的な要素が不当に軽く扱われる傾向があるように思っていますので、今後はうまく取り入れていけばいいのかなと。
    この 「チャラい」 傾向だけでは、自立できないでしょうけどね。

  4. 「感覚的な要素が不当に軽く扱われる傾向」とは、どういうものでしょうか?

  5. (続きです)

    「感覚英語」 は、「遊び」 あるいは 「アート」 を通じて学ぶことができました。

    それから、ちょっと別の側面ですが、”Could you …?” と頼まれて、”Yes” とお行儀良く答えるか、”Sure!” といい気持ちで答えかというのは、日本の英語教育では 「ミステリー」 の領域に止まっていると思います。

    「レリゴー」 から気軽に入ってしまうと、案外 ”Sure!” の方が気持ちよかったりするところがあるんじゃないかと、そんなような気がしています。

    もちろんメインの論理的筋道がないと、最後まで幼児語的カタカナ英語に止まる危険性も多分にありますが。

    うーん、うまく説明できたかなあ。

  6. おぉ、思いがけず厄介な質問をしてしまったようですね。丁寧にお答えくださってありがとうございます。

    うーん、昨今は英語教育に音楽や映画を教材に使っている風なものもありますが、きっとそういう単純な話でもないんですよね。
    もう少しよく考えてみます。

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